わたしは自分がスピリチュアルの行き過ぎた情報へ近づいていく瞬間に法則があると思っています。
ある問いのフレーズに捕まる時がそれです。
問いのフレーズはシンプルです。
で、結局どうすればよかったのだろう
この問いに漠然と頭が支配されたときに、頭だけがスススーっとスピリチュアルな言葉に吸い寄せられて行きます。頭の逃げ足が速いだけなのに、それを直感とみなそうとします。
今年はひとつ発見がありました。
インパクトのある出来事を心が処理できず、その状況に近づきました。
親が他界した2週間後に複雑な感情のガス抜きに困って、なにかの理論に頼りたくなりました。
「あ、いまおかしな感じだな」と思ったので友人に話を聞いてもらいました。
「いまわたし、壺とか石とか買う人の気持ちがわかるモード」と言えば、「そりゃそうよ。大変だったんだもの」で伝わる人が居てくれると助かります。
そんなライフライン的なわたしの友人にひとり、「気」を「氣」と書く人を警戒しているという人がいます。
前に『るん(笑)』という小説を読んだときに、そのことを書きました。
* * *
生きていればいろんなことがあるし、外部環境の影響も受けます。
気分の調子を整えるためにいろんなことをします。
ヨガとスピリチュアルは親和性が高く、スピリチュアルと陰謀論は親和性が高い。
だからこれらは2ステップで繋がりやすいもの。気をつけてね。
というのが今日感想を書く本「あなたを陰謀論者にする言葉」の趣旨でした。
(・・・と、ここまでが前置きでした。話が長くてごめんなさいね)
この危険性については自分なりに肌感で知っているつもりだったけれど、「ニューソート」「Qアノン」の論理や成り立ちを知らなかったので、勉強になりました。
自己啓発セミナーと詐欺商法の説明に出てきた、宮部みゆきさんの『ペテロの葬列』も読んでみたい。
既視感があったことも
X JAPANの人が被害を受けたマインドコントロールの話のなかに、ひとつ聞き覚えのあるフレーズがありました。「お前は自我が強いから駄目なんだ」という罵倒がラジニーシのやり方と似ている、という指摘です。
15年くらい前に、インド旅行中に知り合った女性が「わたしはエゴが強いから」と普通に会話の中で言っていて、唐突に感じました。
あとになって、彼女がラジニーシ(OSHO)の教えを引用したSNS投稿を見ました。
その頃は「有能で美人だとそれはそれで大変そうだな」くらいにしか思っていなかったのですが、いまは、エゴが強くてもそれなりのものを示せているのならいいじゃん、という世の中のほうが健全と思います。
Qアノンが解読ゲームのような世界だと知らなかった
わたしはQアノンというのは何かの組織だと思っていて、その繋がり方を知りませんでした。この本でわかりやすく解説されていました。
- 2017年頃から現れはじめた
- 「Q」という謎の人物の匿名掲示板への投稿が発端
- 匿名掲示板は「4chan」という
- その4chanの政治板(ボード)に「嵐の前の静けさ」というスレッドが立てられた
- そのスレッドを立てたのが、政府の機密情報にアクセスできると自称する「Q」
- Qの投稿は「Qdrop」と呼ばれる短文
- その短文はかなり幅広い解釈が可能
- 掲示板の住民たちがその謎解きパズルに熱中した
そこから「ヒラリー・クリントンやバラク・オバマは悪魔崇拝集団の手先で、それを食い止めようとする勢力から擁立されたのがドナルド・トランプ。闇の勢力と戦う救世主なのだ」という論が生み出されたそうです。
わたしは最初からこの設定があったのではなく、”匂わせ” からそれが共同制作されていった、「下ごしらえだけしておく半分調理」みたいな状況だったことを知りませんでした。
行為だけ見ると、平安時代の歌詠みに暗号を忍ばせて共有した人たちと似ています。
粋なことをしている感覚があるのかな。いずれにしても、推測しながら興奮する思考作業がそのプロセスに織り込まれていることを初めて知りました。
* * *
ヨガ周辺のことはだいたい知っていました。
が!
1969年のウッドストック・フェスティバルでスピーチを行うスワミの元に集まる群衆の写真は初めて見ました。
▼この本の著者です
写真を見ると、ものすごい群衆です。
スワミの背面から写した群衆の写真を見て迫力を感じるわたしは、兵庫県知事に群がる群衆の画像に反応する人の同じ脳の働きをしている!?
扇動はテクニックだなと感じます。
1970年代のオカルトブームの前に、1960年代の秘境ブームがあったというのも、なるほど! と思う内容でした。沖正弘氏の本がドカスカ出版された時代の最初の本は、「秘境インド探訪記 ヨガの楽園」です。
この頃のブック・デザインは当時のブームを感じる装丁で、勢いがあります。今で言ったら、Youtube動画を頻繁に編集して公開していく感じだったのでしょう。
高度成長期でもオカルトや陰謀論はあって、時代ごとに生まれてくる。資本主義社会の車輪の回転への心の抵抗の現れ方として、ずっとある。
その歴史をこの本で振り返ることができました。