うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「ラリる」という言葉について、布団の中で考えた

ここしばらく久しぶりの高熱で寝込んでいたのですが、咳もなくただひたすら汗のみが出続けるパターン。そのときの身体の状態が大変おもしろく、いろいろなどうでもいいことを考えるなかで、こんなふたつの疑問が浮かびました。



【疑問1】ラリる  という表現は、どこまで経験ベースなのだろうか。
【疑問2】これは外から見た状態をさすのか、中から観た状態をさすのか。



なにをもってしてラリっているかの定義もむずかしいところです。
高熱中のわたしは自分が「あ」と声を出してみたらその低い響きが思いのほか大きく、すごく驚きました。
そのときに



【疑問1】これはわたしの聴覚が過敏なのか
 ↓
【疑問2】体液がホットなので体内の振動伝達がよいのか
 ↓
【疑問3】実際大きな声なのか。制御がきいていないのか
 ↓
【疑問4】もしかして今わたし、ラリってる?



と、またどうでもいい疑問がこのように展開し、「夢」を見るという行為を元に人間の認識をああだこうだと探求したウパニシャッドの中のインド人たちみたいなことになっておりました。
前からこの言葉は響きとして陽気でおもしろいなと思っていました。いまはインターネットに「語源由来辞典」なるものがあり、この言葉は「眠剤ブームの1960年代から多く用いられるようになった」とのこと。たしかに自分の世代で造語された言葉ではないし、前からあった気がします。アジアの開放的なところなどへ行くとそういう人を見たりしますが、そんなときに「あの人、ラリってたね」と親が普通に使っていたのを思い出す。わたしの世代だと「あの人、やってるね」とかだと思うので、「ラリってるって!」と妙にナマナマしくおもしろく響いたことを思い出す。
語源由来辞典では「らりこっぱい(乱離骨灰)」の説が有力だというけど、乱離骨灰なんて言葉、わたくし知りませんでした。「こっぱみじん」より、なんだか楽しそう。



「ラリる」という表現はもうほぼ死語に近く、使われるとしても世の中がどんどん品行方正になっていくなかでは経験として発せられることはなく、第三者が外から見てその人の状態を表現する際に使われることしかないと思うのですが、高熱を出していたときに「こういう感じの延長にあるんだろうな」という気がしました。お酒のそれとも似ているかな。でももう最近はほとんど飲まないから、こういう感じが久しぶりでおもしろかった。



小説「すべて真夜中の恋人たち」に、こういう感じをすごく内側からリアルに描いた場面があります。もともとお酒を飲まなかった主人公がお酒による高揚感を覚えていくところ。

なんだか理由もなくおかしくなってきたので声をだして笑ってみた。あははと笑うと、あははという文字が目のまえにみえるようだった。あははって笑うと、あははってみえる。おほほって笑うと、おほほってみえる。そう思うと、余計におかしかった。

わたしも布団の中でいろんな音程で「あ」を出してみたのだけど、こんな気分になりました。麻痺というのは、初期設定によって変わる。普段はなにを麻痺させていて、こういうときはどこが麻痺しているのだろう。
よくある総合感冒薬というのを飲んでみただけなのに、おもしろいなぁ。