うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「おもねる」という行為の代償について友人と話した

先日、友人とお笑いライブへ行った帰りに、「おもねる」という行為の代償について話しました。
その日のライブ会場は、これまで芸人さんが観客に「おもねる」という行為を積み重ねてしまった代償が爆発していて、常連さんの我がもの顔っぷりが度を過ぎた状況でした。「うわぁ」と思っていたら友人はけっこう怒っていて、「これは学びが多い材料だ」ということであとで二人で掘り下げました。友人は個人の名前で仕事をしている人なので、こういうことにすごく敏感。このときの怒りかたを見て、しっかり仕事をしている人なんだな、と思いながら。


こういうことは、飲食店でもよくありますね。居心地がよくて通っている飲み屋で「お店側がこのお客さんをこれ以上気分良くさせることが続くと、アンバランスな領域に傾く」というようなこと。ヨガクラスも似たようなところがあって、わたしはこれまでにこのアンバランスの領域に踏み込んでしまう先輩をたくさん見てきました。わたしがヨガクラスの運用や仕様に微妙な変化をもたせるようにしているのは、この経験からでもあります。


「おもねることを、してね」という気持ちと「応援している」という気持ちはコインの表と裏。こういうことに対して球体のように人格のバランスを取る人もいるので、そういう人を見つけるとおもしろい。球体にできる人には、奇妙な品格がある。
どんな仕事も、品質と向上心を保ちながらフレンドリーにやるのはむずかしいもの。先日観た芸人さんの「おもねる」という行為の代償は、客観的に見たら完全に「呪縛」で、その根っこの杭はかなり低い位置に打たれていました。ほかの観客の前でまるで親のような口調で話しているその常連客の様子を見ながら、親子関係の投影ほど怖いものはないという気持ちにもなりました。「わしが育てた」っていう感覚が欲しい人って、まだけっこう多いのね。


ま、あたしゃそんなに若くもないから、取り越し苦労なんだけどね!
(なんとなく浅香光代さんが憑依中)