うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「思考」を育てる100の講義 森博嗣 著


つぶやきのクリーム」「常識にとらわれない100の講義」と同じ感じの短編エッセイ集。1冊に100のトピックが収められています。
早く読みたくて、発売早々に読み始めてしまいました。今回は87番目のタイトルに「インド的だとよく言われるけど、インドのことをよく知らない。」というのがあり、膝が抜けた。それでも懲りずにインドっぽいという感想を書くことになるのですが、まず全体として以下はタイトルと内容の結び付け方がすばらしいと感じました。
()はトピックの番号です。

「意味を求めることの無意味さをときどき考えよう」(20)
「情報と広告は違うものか?」(25)
「他人の感情的評価に影響されることで、大勢が自由を失っている」(30)
「なにか不満をいうとき、ついでに小さい方も言ってしまうのがいけない」(46)

誰かがなにかに不平不満を言っている場面というのはとても学びが多くて、この著者さんはそのなかにある「種」の分類が鮮やか。
「思考停止」というのはどういうことかが、31番目のトピック「感情的になるな、というのではなく、感情で観察を遮断するな、である。」に書かれています。



感動の魔法の半分以上は自分が持っているということを、あの手この手で述べられる。この100本ノックが気持ちよくてたまりません。

  • 自分を感動させることは、このような場の条件をどう捉えているか、という思考でコントロールされている(トピック37より)
  • 理論武装した感情」もある(トピック31より)

という感情のはたらきの説明のしかたや、人のこころもエネルギーの向き方のバリエーションとして力学的に語るところ。こういうところを、いろいろな人が「インド的」と感じるのではないかな。



この一冊の中でいちばんインド的と感じたのは

(自然を観察して気づく「なにか」は)
「それは自然が持っている力ではなく、人間の中にある自然の力なのである。」(トピック28より)

というところ。
昔のインド人がこの「なにか」を言語化しようとして討論しまくって「ブラフマン」という概念をそこに見出して、それが日本には漢訳仏教で「梵」として輸入されたのだけど、どうにもしっくりきていない。とてもわかりにくい。
それを、短い文字数なのに「あるある、これだ」と感じる現代語で語りかけてくる。インド人聖者の説法本を読んでいるときと同じ感じがフワッと襲ってくるのです。このトピック、ヨーガを学ぶ人は、ぜひ冒頭からの流れに酔いしれてください。難しいインド哲学本を読むより圧倒的にやさしいです。



この本の中に、ご本人が「よく似ているといわれる作家さんがいる」というようなことを書いていたけど、あまり小説を読まないわたしはさっぱりわからなかった。エッセイは、ツッコミかたのツボが玄侑宗久さんと少し似ていて、でもヤング坊主には森博嗣さんのエッセイのほうがグッときちゃうだろうなぁ〜と、圧倒的に的外れなところで、ひとりそんなことを思いながら読みました。



ほかにも、演繹法帰納法を語っているトピックは読んでいてとても楽しかった。
わたしがこの本全体を通じて感じたすてきな「まとまり」は

  • (嫌いと思う感情も含めて)貪欲に感じようという心を持っていることが感受性の豊かさ(トピック33より)
  • 「はっきりしない人間になろう」(29番目のタイトル)

という「やさしくてきびしくて、それが自然なのだー」というところ。
も〜、バカボンのパパ



まだ発売したての超フレッシュ本だから、駅前書店の平積みのなかにあるはず。おすすめです。

「思考」を育てる100の講義
森 博嗣
大和書房
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