うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド思想は「トレンド観」で学ぼう

わたしはヨーガ周辺の歴史を学びながら、よく妄想します。4〜5世紀頃のヒンドゥーバラモンさんたちは仏教に対して「やべー。あいつら瞑想を開発してこんな細かいところまで観えてるうえに、現世にも寄り添ってる。やばいやばいやばい」って、焦っていたんじゃないかなー、などと妄想します。こんなふうに、ヨーガ・スートラ以前の各派のマーブル状態はすごく興味深いのですが、そのあといったん空白が生まれます(イスラームの侵入もあってのことと思います)。そして10世紀頃からハタ・ヨーガが栄えます。
1800年代まできてやっと、ラマクリ師匠ヴェーダーンタが登場したり、長渕さんのほうのサイババさんが登場したりして、アッラーも含めてすべての神を積極的に認めにいく。こんなふうに「思想の市場観」「トレンド観」のようなものを慮りながらヨーガを学ぶと、楽しみが広がります。



数年前の講座の録音を聞いていたら、過去のうちこちゃんは、この感じをジーンズの歴史に重ねて説明していました。

ベルボトムが流行って、20年後にブーツカットと言う名前で戻ってきていますが、まあざっくり形はほぼ一緒です。
女性はフレア・ジーンズなんて名称もあり、しかもこのあとローライズというのも来まして、ブーツカット×ローライズって、完全に中村雅俊の再来なわけです。まー時代によって雅俊が穿くかキムタクが穿くかってかんじの違いですかね。

阿弥陀信仰についての説明なのだけど、軽薄すぎる!
が、今のわたしでも当時のうちこちゃんが言いたいことはわかる。
むしろこの頃の無邪気さを取り戻したいくらい。




 人の意識も生きる環境も、変化するものだから。




インド思想はここに折り合いをつけようとしてゴニョゴニョする学問なんだけど、日本人はどういうわけか「正しいひとつのもの」を決めたがる。どうやったって決まらないものでも「そういうことにしよう」としたがる。だから決まらないのがこの学問なんだってば、というのが通じにくい。
なんというか、権威的ブランドを好みがちなを日本人は「リーバイスの501が究極だぜ」みたいなのが好きなんですよね。でもね、中村雅俊ベルボトムとキムタクのブーツカットのクールさの共通点を語るのがインド哲学の学び方なので、リーバイスの策略からは早く抜け出たほうがいいと思うのだわ。
(なんで事例が松田優作ではないのか、などのお問い合わせにはお応えしかねます。知るかっ!)