ヨガは、葛藤について教えてくれますね。
ものすごくわかりやすい題材があります。
アーサナ修練の効用と危険な次の段階が、それです。
よく、人と比べないとか、自分のヨガを、とか、指導者のかたがいいますね。
でも、「できるようになりたいっ!」って、なっちゃうんです。
が、
そうじゃないのよ。と。
わかります。わかりますねぇどちらも。
もっとこうしたかった
↓
なんかものたりない
↓
繰り返す
執着を行動に移したところで、「だからなんだ」ということに慣れていくのがヨガの醍醐味。
なにか満ち足りそうな案件が現れても、すぐには飛びつかない。
すぐにとりかかるべき問題ではない。
競争でも戦争でもないから。
勝ち取るものではないから。
なので、たとえばステキなことが目の前に現れたとしても、瞬間的に意識を支配してしまうような、「捉えたい、忘れたくない」という執着は起こりにくくなる。
そのあとではじまる感覚のほうが、あたたかくて、いいもんだ。
たとえ話をすれば、きりがない。
さて。
アーサナに慣れてきたとする。
ここからも葛藤は続く。
もともと、ものごとに執着してしまいがちな癖があるとする。身体の使いかたに慣れてきたら、執着を行動に移す余力が出てくるかもしれない。
余力があったとする。
このときが、危険。
ヨギはここで葛藤をします。
これが、実にイイね。
この葛藤に向き合うこと。
自分のエゴに向き合うこと。
身体を自分の持ち物かのように思ってしまうこと。
これが、ヨガのダークサイド。
自分の起こした風に自分が吹き飛ばされないように。
と、ヨガについては思いつつ。
日常では、ほどよく飛びつくチャームも必要ね。じゃないと、世の中が明るくフローしないからね。
ギャグで買ってみたら名著だった、なんて本との出会いもある。
このバランスは、とても大切。
面倒くさいヨギにだけは、ならないように。