今日読んでいた本に「WHO(世界健康機構)の健康の定義」が出てきて、なんだか懐かしいな、子供の頃に暗記したような・・・と思って調べ直していたら、1999年の改定内容にちょっとびっくり。
Wikipediaの記載を参考に書きます。
1948年の設立における世界保健機関憲章の前文
身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。
うん、うん。でも、暗記してなかったなぁ。
暗記していたのは、こっちでした!
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
日本国憲法第25条です。
話を戻しまして、WHOは1999年の総会で、健康の定義として以下の定義を提案している。とあります。
健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。
うーん。
原文は
Health is a dynamicl state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
う、ううーん。
混乱するのは、 spiritual という言葉のもつイメージが 精神的 とクロスするからでしょう。でも、精神的 は mental なのよね。
うちこはインドの本で「霊的」という訳表現に慣れているので、それが自分の中のものであるイメージで読むこともできますが、一般に流布される文章として、「みんながこんな印象で読むだろう」という目で読むと、それは自分の外をイメージするのではないかなと。ましてや子供に説明しようと思ったら、先生大変だぞぉ。かわいそうに。
なんて思っていたら、本件についてうちこが思うようなことをわかりやすく書いてくれている人がいらっしゃいました。
「和尚のたわごと」というウェブサイトのなかの、2001年静岡県職員時報より一部改変 という記載のページです。
静岡にある東林寺という、臨済宗のお寺の和尚さんが書かれています。
すこしは解る気がするでしょうか。絶対的な神様を信じている方には当然の事でしょう。しかし、仏教では絶対的な神様は存在しないため、仏教徒には解りにくいと思います。しかし、もし自分が絶対に助からない病気だと宣告されたとしたらどうするでしょう。こういう時こそ、"spiritual"な価値判断が求められます。
現在のところ、日本人においては、「過去の辛い出来事や失った人や物に執着をもたないことが心の平安を保つために重要である」こと、「信じる宗教により霊性の概念が著しく異なっていること」が解っているそうです。
「自分の基本的価値基準に忠実であること。」これが、私の"spiritual health"に対する解釈です。
今の日本の状態にフィットした説明があって、すっきりしたぁ。
これをさらにうちこ式でとらえると、
"physical health"に執着するな。 "mental health"に執着するな。 カルマ・ヨーガせよ。
というのが、"spiritual health"に対する解釈かな。