うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

清作の妻(1965年の映画/増村保造監督・新藤兼人脚本) 原作:吉田絃二郎 著

すばらしい映画を観ました。

こんにちは。水野晴子です。

 

いやほんと、素晴らしかったの。

日露戦争の頃の庶民の話です。清作という農夫とその妻の話なのですが、愛憎の苦しさと美しさがギュッと濃縮されていて、印象が何日も後を引きました。妻役の若尾文子さんの声が、ものすごく役にハマっています。

少しくぐもった、低いしっとりとした声で、いろんなことに疲れて性格がねじれてしまった女性のリアルがそこに詰まっていました。

 

もともと生活が不安定で、ついでに精神も不安定な、清作の妻。

普段は「執着を手放す」という教えを読んでいるわたしでも、この執着は本気すぎて褒めたくなるレベル。お金に執着をしなくてよくなった女性が見せる、新らしくて原始的な執着の獲得のしかたがせつない。なんだこの話は!

 

 

 

  自分は猛烈に寂しい

 

 

 

この事実に対してまっすぐ欲を認める女性の、潔い執着。

ちゃんと汚くて、ちゃんと粘ついていて、斜に構えていない。純度100%の執着。

凄すぎてクラクラしました。

 

AmazonとU-NEXTにあります。

 

 

感動して原作を読んでびっくり

あまりに感動して原作小説を読みたくなったのですが、古すぎて全集の中から探すしかなく、結局Kindleにあったこれで読むことができました。(いい時代!)

 

 

この短編集がまた、というか、この作家の文章がすごく良くて。

冒頭の『島の秋』の続編のような形で『清作の妻』があり、しかも結末が全く違っていました。

映画版は新藤兼人監督が脚本です。この映画版のクライマックス変更は、ありだ! すごくいい。原作との違いを知ることで、さらにジーンときました。

 

 

原作には脳に障害を持った親族のエピソードがあり(映画では小沢昭一さんが演じていました)、少ない文字数で物語がグイグイ進んでいきます。

 

 

著者は早稲田大学の教授兼作家で、師にあたる坪内逍遥について語られているエッセイ(「逍遥先生を思う」)も収録されていました。

「誰にも話さなかった話」というエッセイでは、ご自身の兵営生活が回想されていました。

 明治四十年代のことである。

 わたくしは島の兵営生活をしていた。まだそのころは日露戦争がえりの古参兵がいてさかんに戦争風を吹かせて威張りちらしたものである。毎日中隊の部屋々々では処分という蛮風がくりかえされていた。

ここから先の話は、自衛隊の中で行われた女性隊員へのレイプまがいのことと雰囲気が似ていて、ああなるほど、こういう世界を見てきたから『清作の妻』のような物語を書けたのかと納得しました。

 

 

この作家の文章には一種異様な魅力があって、あとでWikipediaを読んで『タゴール聖者の生活』『タゴールの哲学と文芸』という著作があることを知りました。

『水と草と白い道』という随筆は、もしもタゴールが福岡から長崎への道を描いたらこうなる、みたいな文章です。かなり憑依して書いてるよね! と思うような。

わたしが『清作の妻』に深いところで心を動かされた理由は、『唖娘スバー』を読んで感じたものと似ていました。そう、これだと思いました。

 

わたしは、自分にとって深いところで記憶から離れないテーマには、普遍的だけど微細であるがために多く広く語られないメッセージがあると思っていて、ここ数年、タゴールやこの作家(吉田絃二郎)が残したような「なにか」が気になってます。

それはたしかに豊かさであり強さではあるのだけど、表出のむずかしいもの。

欲を認めて強く生きる。若尾文子さんの演技が、そのすべてを可視化してくれていたように感じます。

 

 

余談:九州の景色がいっぱい

『清作の妻』でも「長崎からの電車が~」というようなくだりがあって、ああ九州の話なんだなと思っていたのですが、わたしが読んだ短編集には、その景色に感動した大浪池や韓国岳の登場する話もありました。