うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

愛のヨガ ルドルフ V.アーバン

性愛ヨガの本かと思って買ってみたらぜんぜんそうではなかったのですが、非常に興味深い見解がたくさん。
この本は1982年に日本で出版されましたが、この研究結果の発表は内容から読み取るに1950年代のものです。
先にこの本の大まかな内容を紹介するために各章を記載すると


 第一章:序説
 第二章:子どもの性的発達
 第三章:性について子どもに語る
 第四章:マスターベーションの問題
 第五章:愛のヨガ六カ条
 第六章:原則の応用(事例)
 第七章:避妊
 第八章:不能と不感症
 第九章:愛の選択 その原則と落とし穴
 第十章:要約


という構成。このルドルフ V.アーバン博士がこの本で説いている「生体電気」の考えは非常に興味深いものでした。


ページをメモした227ページの「性的不能の精神的原因」は、性的不能だけでなく仕事の面においての「不感症」にもあてはまる内容として、よくまとまっていると思います。書いてあることは(以下引用)

1)まちがった教育からきた性衝動の軽視と堕落。羞恥、恥辱、後悔、罪悪感を過度に発達させすぎる。
2)病気や妊娠の恐れと、それを防ぐためにまちがった方法を使う。
3)自己中心の態度を発達させすぎて、性的関係において反社会的だったり過敏になったりしている。これは性器の反発をまねき、その機能を拒む結果となる。
4)愛情の欠如。おざなりの、愛情を欠いた教育が、潜在しているやさしい感情をよびおこすのに失敗してしまう。情緒的未発達。
5)不似合いなつれあいへの無意識の拒絶反応。
6)劣等感。失敗と嘲笑への恐れ。
7)優越のためのたたかい。愛において我を失うことのおそれ、自立できなくなるのではないかというおそれ、これは女の役割をひどくきらっている女性の抗議としてあらわれることがある。
8)男性の女性化や女性の男性化は、性の電圧を減少させる。
9)悪い見本。性がすべての不幸や屈辱の根源であるかのようにおもわせる、両親や親類や友だちの不幸な結婚。
10)異性の親への強すぎる愛着が原因となる、エディプス・コンプレックス。愛情をむすぶことや結婚がそのとき親に不義をはたらくかのように無意識に感じてしまう。これは親への同情とか親を捨てることの恐れとが複雑にからんでくる。一方でこのエディプス・コンプレックスは近親相姦のタブーと葛藤をおこす。
11)芸術、科学、スポーツに過度な昇華を行いすぎて、性的にいくべき大量のエネルギーを失ってしまう。さらにこのグループに属するのは、過度の愛撫やキスによる昇華が、性欲をおこさせつつ、満足させることがない。この過程がコンプレックスにまでかたまると、性器は多かれ少なかれ無視される。これがよく知られる長い婚約の結果だ。
12)最後に12番目のグループに属するのは、片方のパートナーの性的抑圧がからだからの生体電気の発散を妨げるので、その結果もう一方のパートナーにとって性行為が苦痛と絶望の原因になってしまう。(最近のある観察結果によれば、男性の性的不能の原因として、ほんのちょっとした肉体的なことがある。あまりに暖かすぎる下着を着るとか、夜眠るときにたくさん毛布をかけすぎるとか、こういうことが性欲や性能力を減少させるようだ)。

これらのなかでひとつ、11の項目が非常に気になりましてね・・・。
「芸術、科学、スポーツに過度な昇華を行いすぎて、性的にいくべき大量のエネルギーを失ってしまう。」という箇所。なんとなくよくないなと思いつつも「暇さえあればこれがやりたい」というものがあると、性的なことに費やす「時間」を削ってしまう。

博士がこの項目を発表したのは1950年代と思われるので、その後インターネットで情報が得られやすくなり、関心のあることに行動を起こしやすくなっている昨今、ヨガでも仕事でも、昇華をすることで「物欲がなくなる」とか、「恋愛よりそっちのほうが奥行きがあって夢中になってしまう」という状況が当てはまる人は少なくないはず。
やっぱり、恋愛の衝動に「退屈な毎日」というのは大きなトリガーかも。どうも、退屈しないんですよね・・・やりたいことが多すぎる。


こと恋愛、性愛においては「志」をまず持たないといけないのでしょうけども、今の私には難題。やりたいことを我慢するとストレスがたまりそう。