今日は脳内の幻覚の話です。
「ハルシネーション」は英語で、「ブラーンティダルシャナ」はサンスクリット語です。
カタカナの「ハルシネーション」でウェブ検索をすると、生成AIが引き起こす現象として解説が出てくるくらい、用語が定着しています。
AIと共存して生きていく時代ならではの学び
今年の春にChatGTPのことを何度か書きました。(末尾にリンクを添えます)
わたしは生成AIの誕生と普及は、ヨガを繰り返し学んでいく上で大きなトピック、見逃せない題材だと思っています。
生成AIの引き起こすハルシネーションは、ヨーガ・スートラのなかでは第1章30節で「修練を妨げる脳のはたらきリスト(障害リスト)」のなかに登場しています。
「ブラーンティダルシャナ(Bhrāntidarśana)」です。
これからAIと共存して生きていく世代は、先にハルシネーションという現象を知ったあとでヨーガ・スートラに触れる人も出てくる。その順番だと、ブラーンティダルシャナの説明はぐっと簡潔になります。
「ハルシネーションのことです。あなたのほうがAIよりもハルシネーションを起こす可能性があるってこと、なぁい?」と。
ヨーガ・スートラにある警告は日常に示唆を与えるものばかり
こういう、古代と現代の重なりを見ると、ヨーガ・スートラに書かれたことを理解する新しいバリエーションがきた・・・と、わたしはひとりで興奮してしまいます。
今日の話は、少し前に職場で起こったこんな雑談がきっかけです。
「最近ChatGTPがバカなふりしてきません? 有料版(ChatGTP4)に移行させたいのだろうけど」と話している人がいて、「あ、やっぱり? 二週間前くらいのほうがまともだったなと思っていたところです」と、そんな話をしました。
虚実を織り交ぜることのできるAIが、「こっちのほうが "実" が多くなります。なので有料になります」ということをしてきているとなると、これはなかなか魔的なマーケティング手法です。
巧みに虚実を織り交ぜるカルト組織が、「こっちのほうが "実" が多くなります。なのでそれ相応の金額になります」というアレとどう違うのか。
吊り広告をクリックしていませんか
生成AIを使って作られた広告をクリックする行為は、ブラーンティダルシャナに堕ちやすい性向の兆しです。
わたしが近頃とくに悪質だなと思うのは、有名人の老・病・死を題材にしたもの。
見た目の変化を画像生成AIで作成した広告とか、ひどい時代になったものだと感じます。
人々が潜在的に見たがっている苦しみを先回りして、AIが広告を作成してくる時代。
潜在的にというのはそんなに甘いものではなく、警戒する必要があります。
他人に話せないような過去の苦しみやコンプレックスまで掘っていくことを、AIはなんのためらいもなくできてしまうから。そこにブレーキをかける指示を、人間がどれだけ倫理的に適切にやっていけるかがAIの課題と言われていますが、現実の悪が先走ってるなぁ、というのが、わたしが最近感じることです。
(このブログをスマホで読む人には、DuckDuckGoというブラウザでお読みいただきたいです)
パタンジャリは、もうとっくにリスク項目にあげてた
先にも書きましたが、これはすでにヨーガ・スートラの第1章30節で、修練を妨げる脳のはたらきリストのなかに登場しています。
ヨーガ・スートラに残された内容を現実社会からの逆引きで学んでいく展開には、進歩を感じています。
うーん、進歩というよりも、むしろロマンやね。
(こういう時、わたしは脳内でパイプを片手に関西弁を使いたくなります)
4世紀、5世紀の賢人パタンジャリや古代のリシたちと「ああ。ハルシネーションね」って話しているようなものだから。
うん。これはロマン。
以上。
今日はヨガとロマンの話でした。
<ご参考までにのリンクですー>
上記を書いた頃は、無料版ChatGTPが「こんなに頭いいんだよ!」と認知度アップ・キャンペーン中で、バカなふりをしてくる前でした。
今となっては書き残しておいてよかったと思うエピソードです。
「ハルシネーション」も「ブラーンティダルシャナ」も、自分でそれが障害であることに気づくしかないものですが、どこまで他人が関与できるかというのは、とても慈愛に満ちた問いです。
以下は10年以上前に書いたものですが、今日と同じ題材です。