今年は大河ドラマが吉原を題材にしたものだったせいか、この映画のタイトルを耳にすることが何度かありました。
そういえば子どもの頃にリアルタイムで存在は知っていたけど、観たことなかったな・・・と思って観はじめたら、ものすごい映画なんですねこれ。
生きている意味を探す中にある「虚栄心」を見事に描き、その反面にある「正直さ」もていねいに拾い上げている。すごい脚本。名ゼリフのオンパレードでした。
オチも何も、タイトルがすでにオチ(吉原の火災)で、ネタバレも何もないと思うので思いっきり心に響いた感想を書きます。
- 若さと営業力で常にふるいにかけられる仕事の話だった
- どの思考も、わかる。わかるわー、ってなる
- 自分を客観視し、加齢による暗黙の引退勧告を認識している人の狂い方
- 疑似恋愛を本当の恋愛に変えようとし、公私混同で自滅する人の壊れ方
- 演技で自我を守ってきた人が、病で居場所をなくしたときの崩れ方
- 底評価で左遷されても飢えなければ上々と割り切る、表面的な悟り方
- いまの年齢で観なければわからなかったこと
若さと営業力で常にふるいにかけられる仕事の話だった
時代と社会、娼妓が「ずっとその職場には居させてもらえない、居られない」パターンがしっかり描かれていて、その業態のシステムの理解のために一言もセリフを聞き逃せない濃さでした。
- 加齢による退場
- 公私混同による自滅
- 病による離脱
- 底評価による左遷
これらは仕事を続ける上でスタンダードな苦難といえばまあそうなのだけど、華やかで苛酷なシステムの中で生き抜く人たちの自我の守り方、プライドの守り方の裏にある狂い方もまたそれぞれで・・・。
どの思考も、わかる。わかるわー、ってなる
それぞれのプライドの守り方は以下のように設定されていました。
- 圧倒的に自分を客観視しプロを極める
- 疑似恋愛を本当の恋愛にしようとする
- 目標と物語を明確に設定・演出して自我を守る
- 飢えずに白米が食べられればひとまず上々と割り切る
これらはすべて、主人公のお久(名取裕子さん)以外の人たちの物語。
いろんな経験をしてきた中年には、主人公以外の物語がグッとくる。
まるでカタログのように、 "発酵する自我への処し方" が並んでいました。
自分を客観視し、加齢による暗黙の引退勧告を認識している人の狂い方
見た目で値踏みされ、性的身体で評価され、媚びの上手さでバランスをコントロールする。
これらを完璧にこなす技術を磨いても、最後は加齢であっさり退場。それをわかっていながら、やれるところまではしっかりやる。
そのプロ意識の中にある危うさの逃しどころが、男性以外との “関係” であり “美” だなんて、狂い方の描き方としてこんなに粋な展開ってある?!
しかもこの先輩娼妓の声と喋り方が、浅草の高潔さそのものって感じなのが最高でした。
疑似恋愛を本当の恋愛に変えようとし、公私混同で自滅する人の壊れ方
めちゃくちゃメンヘラ彼女かつ腰掛けOLみたいな感じの人もいて、公私混同での自滅が普通のことに見えるのも、この映画のすごさ。
だって、ずっと戦い続けることなんてできないじゃん? という一般的な感覚がちゃんとある。この人は自分が組織の中で上位にいても、「まあ、今だけ、たまたまだし」と思っているところが妙に健全だったりする。
女同士で「恋に希望がなきゃあ、あまりにもみじめだ」みたいなことをカキ氷を食べながら話す場面があって、自分の人生をみじめと思わないための恋愛依存が描かれていました。
演技で自我を守ってきた人が、病で居場所をなくしたときの崩れ方
苛酷な環境で自己プロデュースを厳格にやってきた人ほど、身体の痛みをきっかけに子どものようになってしまう、というのは妙に現実味があります。
この人物は現代にタイムスリップしてもハマる、SNSで盛る時代の精神性を持っています。
社会が信じてくれているイメージによって自分は生かされている、という事実をこんな風に演出するなんて、どうにもすごいアイデアです。
底評価で左遷されても飢えなければ上々と割り切る、表面的な悟り方
目標を小さく設定しておけば満たされない苦しみから逃れられるし、評価を気にしなければやりたくないレベルのことまではやらなくていい。
そしてこの範囲にいることが、人間性を失わずに周囲の人と関わっていくコツでもある。
この「足るを知る」作戦で精神を守ってきた人が火事で消えていく吉原を見て「燃えちまえ~」と、言い放つシーンがナイス。
この人の物語だけ、林芙美子の『放浪記』が混ざったような軽さがあって、それがいいアクセントになっていました。
いまの年齢で観なければわからなかったこと
この映画を若い頃に観たら、根津甚八さんが演じる男性を好意的な視点で見てしまったと思います。
彼が “殉教者コンプレックス由来のED” であることまでは推測できても、救世軍の一員として街を歩いていた時のあの誇らしげな表情と、身体よりも頭が先行する苦しみの間にあるものは、トルストイやドストエフスキーの本を読まないと理解できなかったはずです。
頭でっかちであるがゆえに、自分よりも社会的にも精神的にも弱い立場の女性の前で気が大きくなる時だけ元気になれる。あれは男系社会で精神的に負け続けてきた人を描いているんですよね・・・。すごい映画よぉ。
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27歳くらいで「薹(とう)が立つ」(盛りが終わる)と考えた人たちの、20代で若死に続出のブラック労働の話ではあるのだけど、だからこそ、ギュッと濃縮されたセリフが残る。
名シーンがありすぎる映画ですが、現在のわたしには、あの華やかだった先輩の立ち去り方、ひとりで次の旅に出る姿のかっこよさが沁みる映画でした。
