このブログを読んでくれている友人の勧めで観てきました。ドキュメンタリー映画です。
わたしのフィルタを通した感想を待たれている気がするので、感覚が冷めないうちにアップします。
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自分はその人の内面も含めてトータルで見ようとしているか。
芸術作品を見るときに、表面だけ見てはいけないのだろうか。
エンタメであれば、どうだろうか?
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近頃こういう問いを観客側が積極的に抱くことが是とされているムードを、わたしは正直、めんどくさいと思っています。
ただ昭和の日本は確かに酷すぎて、わたしはこの映画を見ながら「ピンク・レディーの話みたいだ」と思う瞬間が何度かありました。(77年と78年には3ヶ月おきにシングル計8枚が出ていて、あたくし全部歌えます。数曲は踊ることもできます)
えええ!そんな感想? と思われるかもしれませんが、この映画のエンドロールの最後まで席に座ってみれば、わたしの感想の意味が耳から入る情報を通じてわかるはず。
このドキュメンタリーは本人が承諾するのに3年かかったそうで、それでも短いと思うくらいの内容でした。
(この先はこれから観る予定の人は、観たあとで読むことをお勧めします)
アル中の人が20歳老けて見えることも、家の荒れかたも、火の元の心配がきっかけで居場所を失いかけることも、身近にそういう人がいればわかる。
その本人と直接再会してなお、「わたしは彼の外面だけでなく内面も見ていたのだと思いました☆」と言ってのける漫画家・池田理代子氏の肝の太さこそ、まさに昭和仕込み。
見たいものしか見ずに自分の世界を追求できる人が成功した時代。
観客に「見たいものを見て、反応して、楽しんではいけないの?」と罪の意識を背負わせるエンタメは縮小するわなと思いつつ、生身(なまみ)の人間を材料にする以上は心身の犠牲を負います。
本人の目の前で、本人が理解できない言語で「彼はもう16歳になった。老いた」と、価値が下がったフラグを立てて笑いをとっているその場の雰囲気に、当時の有名映画監督ってこんなに権威があったんだ……、と驚きました。
まだ当時16歳の少年はいま60代。とにかく生きていることがすごいと思うほど、自我を破壊されています。
めちゃくちゃ内省しながら酒とタバコが手放せない様子や、「消えたけど死んでない」というモノローグ、綱渡りの精神状態。
周囲の人の距離のとり方が、映像を見る限りはとても上手に見えるけれど、本人に聖書を読むような気持ちがなかったらかなり大変だろうと想像します。
男性の親族や友人がまったく出てこず、女性たちが支えています。腕にがっつり刺青の入った娘さんの様子は、映像ではいいコメントしか出していないけれど、そこへ至るまでに多くのことを乗り越えているはず。
どっこい生きてる、なんて話ではなくて、とにかく生きてる話でした。
人間の自我・自己・人格も植物と同じように、適切な光と土が必要で、そのバランスが崩れてしまったときには同じ時間を共有した人間の力がその代わりを少しは果たすことができる。
本人が内省をしながら生きている姿がズシンときました。
これができることが、植物や動物とは違う、人間の機能だと思いながら。
自分の精神を自分で養う方法について考えるとき、これから何度もこの映画のことを思い出すことになりそうです。
▼わたしは銀座で観てきました