ここ1ヶ月ほど、この物語の世界に没入していました。
先に1984年に公開された映画をYoutubeで見つけて、原作小説の日本語版を読みました。映画は英語のサブタイトルなので、わたしの英語力だとざっくりしか内容がわかりません。
主人公たちが交わしている会話の背景やニュアンスが知りたくてタゴールの原作小説を読んだら、サタジット・レイ監督が映画の文脈で上手に置き換えていることがわかりました。
こうなると、もっと知りたくなってしまいます。
むかし日本で公開されたときに販売されたパンフレットをメルカリで見つけて購入したら、全セリフの日本語版が掲載されていて、それも繰り返し読みました。
この物語は、以下の要素が絶妙に絡み合った話です。
- インドの反イギリス運動
- インドの婚姻と因習、家に閉じ込めらた女性の自我
- 母国にアイデンティティを見出そうとすることの功罪
- そこで聖典や神話が引用される、信仰心の利用と悪用
- ヒンドゥー対イスラーム
- インド内の格差社会
- 不倫、男女の三角関係
映画のいいところは「暮らしぶり」が視覚的に入ってくるところで、家に閉じ込められているとはいえ、ものすごく大きな中庭のある、宮殿のような家に住んでいます。
小説の文章でもそれは書いてあるのだけど、調度品と内装、家のサイズ感、召使いや外国人が出入りする様子などは映画を観ることで体感的に理解が進みます。
サタジット・レイ監督は、英国製のタバコを小道具として上手に使っていて、崇高で立派なことを言っている人物にも、イギリス仕込みの悪習慣が身体の深部まで染み込んでいることがわります。
原作者であるタゴールの考えや主張は、夫・ニキルとその先生の教えに反映されています。
これまで短編小説や詩でしか知ることのできなかったタゴール自身の宗教観と内省力の関連性が見えるもので、興味深く読みました。
わたしはこの人の世界への向き合い方を尊敬します。
神がぼくらの人生という絵を描かれる時、その線は、少しぼかしたままにされておくのが常だ。ぼくらが自分でそれに少し手を加え、消したり補ったりして思い通りの明瞭な姿を描き出すように、というのが神の意図するところなのだ。創造主の暗示に従って、自分の人生を自分の手で創り上げよう、ひとつの偉大な観念を、ぼくという存在のすべてを通して、誰の目にも明らかなものとしよう──このことに伴う苦悩は、いつもぼくの心の中を占めて来た。本能をどれだけ蔑(ないがし)ろにし、自分をどれだけ抑えて来たか、その内面の歴史は神のみぞ知る。困難なのは、誰の人生もその人ひとりのものではない、ということだ。創造する者が、もしその創造に自分の周囲をも巻き込むことがなかったとしたら、それは失敗に終わるだろう。
(397ページ)
わたしはタゴールのこういう、打ちのめされているけれどもあきらめていない感情を吐露した文章が好きです。
根性論でも崇高な人間論でもなく、不器用ですから・・・と言って逃げたりしない。
繊細でエネルギッシュです。
先にも書いた通り、あまりにも多くの要素が学べる教材のような物語だったので、以下にテーマを分けて先に感想を書きました。
聖典や神話が引用される、信仰心の利用と悪用
インドの婚姻と因習、家に閉じ込めらた女性の自我