うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ぼくは閃きを味方に生きてきた 横尾忠則/映画「新宿泥棒日記」1969年公開・大島渚監督

スピリチュアルにも色々ありますね。ヨガにハマる人=スピリチュアル、あるいは「スピってる」と小バカにする人がいるけれど、たぶんその境界線は社会の中での自分の居場所の作りかたと連動している。具体的に言葉にした途端に、無駄に誰かを傷つける。

 

いつもぶら下がり先を探している恋愛依存体質の女性が占いやヒーリングのセミナーにハマっていたら、「お、おおぅ・・・」となる一方で、世界的な大成功者の語るスピリチュアルは、もうこの人は一般人に相談してもしょうがない領域にいるのだろうと思う。そのくらい幅があるもの。

 

そしてわたしが、そこは賛同できないと心の中でブレーキを踏む瞬間がどこにあるかと言えば、陰気で極端な人が世界的成功者のスピリチュアル発言を引き合いに出すときで、だけど90年代まではそういうのがアリで、ごちゃまぜでも問題なくて、寛大でした。そのくらい毒っ気の強いスピリチュアルが巷に溢れていました。

インドを旅していると、その時代を懐かしむ日本人の年長者に出会います。その感覚をチューニングできないまま日本に居づらくなっちゃった人の話は、生存者バイアスで巷の話題にはあがってこないもの。

わたしもそういう話はデリケートな案件として扱っています。

 

精神的なぶら下がり先を探す恋愛依存的な女性というのは一例で、喩えばスティーブ・ジョブズという文字列だけの存在に漠然と寄りかかっていた、一時期多く見られたApple製品愛好男子もわたしのなかでは同列で、あまり変わらないと思っています。

こんなふうに、自分のなかで、メタ視点でのツッコミの矢が90年代と比べて何十倍にも増えています。そういう世の中にわたしも順応してきたのです。

 

 

 *  *  *

 

 

先日、こんなことがありました。

神保町で友人と食事をした帰りに、一般的な書店と間違えて「書泉グランデ」という書店に入ってびっくりしました。三省堂書店の本店がビルごと改築中なので、なんとなく大きそうな書店ビルを目指して建物の前まで行ったら、フロア割りが濃くて。

4階はこんなことになっていました。

 

 

 

  占い、精神世界、ミリタリー、歴史、数学、理工

 

 

 

ここをぐるっと廻って歩いているうちに、ミリタリーというのが男子版のスピリチュアルに見えてきました。

同じフロアにダウジングの器具なんかも売っていて、オラクル・カードやタロット・カードはこれ都内一の品揃えなんじゃないか? っていうくらい。なかなかの空間。

時間が飛ぶように過ぎ、ヨガの本棚のあたりなんて、自分の部屋かと思う品揃え。「お、おおぅ・・・」と自分を客観的に見せられたようで、なかなか恐ろしい空間でした。

そう。そうなんです。オウム真理教以前のスピリチュアルは、受け手の自己責任に任せていろんなことがポップに語られた時代。

そんなことを思い出させてくれるおもしろい本を読みました。

(長い前振りでごめんなさい)

 

 

1992年初版の「恋愛は芸術だ」(インタビュアー:生駒芳子さん)を改題して出版されたそうで、語りは30年前の内容です。

この時代の、有名人がスピリチュアルなことを話している本って、おもしろいんですよね。今じゃ考えられないくらい、しれっと霊とかカルマとか波動とか、そんな言葉が飛び出しています。

わたしが子供の頃は夏休みに心霊写真を紹介するテレビ番組があったりして、多くの人が自分で画像加工をする時代では無理な企画がたくさんありました。

 

 

横尾忠則さんの本はこれまでにエッセイと対談集を一冊ずつ読んだことがあって、NY以降のジョン・レノンとドラッグとスピリチュアルの話はこの人からじゃなければ聞けない内容。この本でも語られていました。

この語りをされている頃は56歳になられていて、ご自身の考え方をスパッと説明されるようになっています。

その後も長く社会と関わって仕事をしていく人って、トンデモな話をしながらも、こういうところがしっかりしてるんだよな、と思う部分がいくつもありました。

 

横尾さんは、1990年の映画『ゴースト』に対して、そう!!! そこ突っ込んで欲しかった!!! と思うことを語ってくれています。

わたしもあれが流行ったときに、当時はまだ10代だったのだけど「これに多くの大人が感動するって、どういうこと?」と思った記憶があります。

こんなド演歌な復讐劇を、ショートカットのチャーミングなアメリカ人女性がロクロを回してるってだけでアリに感じちゃうなんて、なんかだチョロすぎねえか日本の大人・・・と思っていました。

当時はいまのように思ったことを言語化できなかったのだけど、横尾さんは、死者が殺人をする物語って、どこまで悪徳を振りまく話なんだという趣旨のツッコミをされています。

ご自身のなかで輪廻思想と一生懸命に生きることの紐付けがしっかりされている人ならではの指摘です。

 

 

こんなことも語られていました。

 よく絵を好き嫌いで見ればいいという人もいるけど、つきつめて考えるとそこにも問題はあると思うよ。例えば好きなものがあるとしても、自分が冷ややかな存在ですごく冷ややかな絵が好きだという場合は、本当のところはその人はあたたかい絵を好きになるよう方向転換しなければいけない。好き嫌いの檻にとどまる危険もあるということだね。

<好き嫌いの危険 より>

これは、わたしがここ数年で本当に実感するようになったことです。

生命エネルギーが放っておいてもボコボコ湧いてくる間は「冷ややかな感じのものが好き」というキャラクターを肯定していてもまあいけるのだけど、自然現象としてエネルギーを貴重なものとして大切に扱わなければならなくなってきたときに、このラベルを自分に貼ったままでいけると思っていると詰む。詰むのですマジで。

だから明るい服を着ておいしいものを食べるのです。

 

 

 

映画「新宿泥棒日記」(1969年公開)を観ました

この本を読んだしばらく後に観た「没後10年 映画監督 大島渚」(国立映画アーカイブ)の予告集映像に、横尾忠則さんが映っていました。「新宿泥棒日記」というドキュメンタリーのような映画で主演をされていました。

そういえばこの時代のことが本に書いてあったな、と思い出しました。

 4ヶ月ニューヨークにいて東京へ帰ったら、僕はすっかりサイケデリックの教祖に祭り上げられてしまった。あの頃の週刊誌を見たらきっと今の若い人はびっくりするよ。自分で言うのも変だけど、サイケの教祖、ハレンチの教祖、アングラの教祖、なんて言われて。週刊誌やテレビに連日引っ張り出され、忙しさはアイドル並みだったなあ。

 

 (中略)

 

 日本では67年頃は、ピッピーではなくフーテンだったね。新宿なんかの道端でごろごろして、ビニール袋にシンナー入れて吸ってる、なんだか貧しいよね。アメリカのヒッピーやサイケはもっと思想的だったし、クリエイティブだった。

<ハレンチの教祖 より>

 

時代に祭り上げられた人が時代の空気をそのまま出している、というような映像でした。エログロナンセンスの時代とはいえ、前衛的であることが最優先なのって、なんかさすがに見ていてつらい。

当時の新宿の「ピッピーではなくフーテン」な光景は、同じカルト教祖でも衣装デザインにこんなに差が出るかと思うラジニーシ麻原彰晃のそれと似ていて、そのセンスに大きな差を感じずにはいられないのだけど、これが日本らしさでもあるのも事実。

ヒロインの若い女性だけが、今に通じる清潔な美しさを備えている。そのギャップがひたすらしんどい映像でした。

 

 

本を読んだのは7月の初めくらいだったのだけど、その後たまたま映画まで観る展開になって、こういうことが連続することって、あるんですよね。

いやぁ~、あぶないところだった。(なにが)

 

 

ちなみに昨今身近なスピリチュアルについては、わたしはこれらの本がかなり鋭いところを突いていると思っています。