先日、底なし沼に片足突っ込んだかのような経験しました。メンタルの話です。
── ここ数日、友人に話を聞いてもらっておりました。
話しながら自分の頭と心に起こったことを整理していました。
まだ思い出すと怖くなります。
これまでヨガを通じていろんな人とお会いしてきたなかで、思考や気持ちの急な乱れについて、「こういうことってないですか?」という質問を受けたことが何度もあります。
そのたびに「そういうのがあるというのは、メカニズムも含めて情報として知ってはいるのだけど、自分ごととして話せる経験がありません」と答えてきました。
それが先日、やってきました。
友人に話をしたら、若いうちからPMSを経験している人にとっては、そんなに驚くことではないようでした。
思考のバグりかたと冷静さの喪失に驚く
わたしはこれまで月経前よりも、スタートしてから中間期が重い体質でした。
月経前に怖いことが起こらないので警戒心がなく、「ぎゃー。なんか予定より早く来ちゃった。ねえねえ、ナプキン持ってない?」とあたふたする、あの陽キャ的なタイプでした。
ですがここ一年は、前に何かがある。これが噂の、なんか魔物よねと。
薄々それを感じはじめていました。
まるで貞子
まるで一瞬なにかに乗り移られたようで驚きました。
そのあと数日経ってから、こんなことを思いました。
こりゃあ、スピリチュアルにハマる人の気持ちがわかる
不安に反応する神経がむき出しになる、あの感覚に理由が欲しい。今すぐ誰かにこの説明をしてほしい。
とにかくガーゼを当てて欲しい
こういう感じになる。
とにかく、ガーゼを!!! と。
わたしはアルコールや薬物など体液に入っていく依存物質の恐ろしさを思うと、「まずはガーゼを」はアリと考えます。
とにかくガーゼを
と、こういう流れでスピリチュアルなコンテンツに頼る気持ちが、いまはわかるのです。
これまで、「皮膚が弱いんだな。ならば、よーし、乾布摩擦だ! 皮膚を丈夫にするのだ!」という考え方でやってきたわたしに襲い掛かったあれは、あれはなんなの。なんだったの。
わたしに起きたこと
気になりますよね。
こういうの、シェアしてこ。
とっても個人的なことだけど、だいじなことだから。
* * *
先日、更新作業がルーティーン化していた契約書類の一部分が急に気になって、そこからネガティブな妄想が爆発しました。
「えっ?! えええっ?! 」と、急に被害妄想的になりました。
よくよく見たら、その項目は前回の契約書でも同じ記載がされていました。コピペでした。
実際には、なにも起こっていなかった。
自分の妄想世界に没入していたことに気がつきました。
「こんなに大事な変更がなされているのに、説明もなしに、いつも通りにスルッと済ませようとしているの?! 」と、ものすごい疑心暗鬼の塊みたいなものが、自分の中から生まれていたのでした。
わたしの頭の中だけで起きた世界への没入のしかたが自分でもショックで、動揺が数時間じんわり続きました。
その週末に友人と食事をする機会があったので、話してみました。
友人は
「そこで確認せずに相手に何かを言ったわけじゃないから、外部に対してはなにも起きてないよね。でも、わかるよ。わかるし、実際それでキーってなって、言う人もいるだろうし」
とわたしに言いました。
そこで「セーフ」とか「よくあること」と言われなかったことが、静かに効く鎮静剤になりました。
外部に対してはなにも起きてないよね。でも、わかるよ。
そう、オラ、その透明なタイトロープを渡ったんだ!
オラ、渡ったんだ!(←大切なことなので二度言いました)
頭の中での、綱渡りの経験。
渡ったことを褒められたいんじゃない。渡ったことを知ってほしかった。
あとね、多くの熟年離婚は、このメカニズムへの無理解もあると思いました。
これに引き起こされるアクシデントって、めちゃくちゃ多いと思うの。
次も渡れるのかこれ・・・(再現性の問題)
論理としては、パタンジャリ先生やクリシュナ神(のセリフを伝えたヴィヤーサ)がおっしゃっている通りのことが起こっています。
心のはたらきであると。そう。そうなんだけどね。
だけど実際そのときになったら、どうか。どうなのか。
皮膚のめちゃくちゃ薄っっっすぅ~~~いタイミングで刺激をキャッチしたことに気づけるか。
まるで皮膚のように心を守ってくれていたものがエストロゲンであったことを、アタクシこのたび、実感を持って知りました。
早朝に日光を浴び、運動をし、瞑想をし、バナナを食べる。なんなら聖典も勉強しちゃう。
そういうことをしていても、心の皮膚が超絶薄いタイミングが、あるにはある。
これはうつ病と混同する。するでしょー。と思うのです。
だからこの時期は、何度でも心にガーゼを当てて復活するソルジャーになる。
戦いは自分の脳と卵巣の間で起きていて、外部からは見えないから。
そういうときに備える調整弁として「スピリチュアル」がちょうどいいタイミングであれば、掴む人もいるよね。
そんなふうに思うようになりました。
そして、そこに年長者の女性が漬け込むのはかなりevilだなと思うようにもなりました。
シンプルな疑問
ところで、スピリチュアルな話をする人は、今回わたしが感じたホルモンバランスと脳内物質の変化のことを、どのくらい認識されているのだろう。
同じような感覚があったのかな。
男性が発信するコンテンツには、プロダクトアウトのゴツゴツしたスピリチュアルも多いですよね。
「わたしは知っている。君に教えよう」という感じのやつね。ああいうのは、アタクシ全く惹かれません。
それよりも、「なんでこんなことまでレントゲンや人体実験のない時代にわかっちゃったの?」というものに惹かれます。
いま生きている人が提供しているスピリチュアルな話の、どこまでが個人の体験から自分で言語化していったものなのか、相談してくる人のニーズに合わせたものなのか、どこまでが伝統の引用なのか。
わたしはいまは、前者の個人的な話を聞きたい気分。
── おっと、いけませんね。
こういう分析はやめて、やわらかくいきたいのだけど。
マインドじゃなくて、ハートで。ってのがスピリチュアルの基本なのに。
どうにも乾布摩擦出身なのよね・・・。