うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

私の消滅  中村文則 著

少し前に読んだ「教団X」がおもしろかったので同じ作家の本を読んでみました。この物語は宮﨑勤元死刑囚の事件の分析が序盤で展開されて、「私」が消滅する感じをイメージする題材のように使われています。この小説の「私の消滅」は自我を滅して悟りに向かう「私性」の消滅ではなくて、連続する「私」から距離を置く、逃げるような感じ。
以前オウム真理教麻原彰晃詐病か統合失調かについて議論されているテキストを読んだときに、自分で意識のどこかのスイッチをオフするくらいのことはできた可能性があるから、治療でそれを取り戻させて証言させるべきだという考え方があって、そのことを思い出しました。
この小説は精神科医が複数登場し、本能として存在する攻撃性について語られる場面がありました。わたしはヨガの練習の大きな目的のひとつを、自分の体内で自動的に生成されるエネルギーの余剰分を間違って行使しないようにするためと思って続けているので、この話を興味深く読みました。そして、なるほど自分自身に向ける攻撃性もまた余剰エネルギーであるなとハッとしました。
ここをさらに多角的に掘り下げてもらいたかったのだけど、小説は復讐劇の流れ。
 
三島由紀夫の「音楽」や安部公房の「箱男」のような雰囲気がありつつ(両方とも医師が登場する)、子供の頃に家庭内の人間関係で複雑な事情を抱えた人々のしんどい回想が続きます。学校の帰りに自分の家が見えてきて憂鬱な気持ちになる子供の心理描写にはすごく共感したけれど、そこで「新しい居場所を得たら出て行くんだ。そこで気に入ってもらえるようにがんばろう」というふうになるかならないかは個々の気質なのだろうか。自分のことを振り返りながらそんなことを思いました。
この物語に出てくる人は、家にいる人の意識を書き換えることって、できないんだろうか…と考えている。そういうふうに考える人は、世の中をこう捉えてこう動かそうと試みるのか、というような意外な発見がありました。
この作家の本を読んでいると、自分は根が明るい人間なのではないかと思えてくるので不思議です。
私の消滅 (文春文庫)

私の消滅 (文春文庫)