前に、精神科・心療内科で閉経期の脳のはたらきについて聞いたり話した経験を書きました。(参考)
そのときに自分の口から出た言葉をきっかけに、発見したことがありました。
医師のかたは便宜上「ストレス」という言葉を使っていて、わたしの意図とのギャップから気づくことがありました。
わたしは、何度もこう言っていました。
いまはすごくストレスが少ない生活のはずなんですが
無意識に、当たり前のように、過去に生活全般がしんどかった時期と比べているのです。
漠然とその頃の出来事を黒い塊として捉えて「あの生活に比べれば、いまはかなりラクなはずなのに」と比較しているのでした。
ストレス=しんどい出来事
と思っていると、「なんで??? いまはこんなにラクなはずなのに」と考えてしまいます。現在の話をしているのに、過去の記憶の倉庫の扉を開けようとする。
ストレスというのは、そういうものじゃない。現在のことなのに。ハードな災難級のものばかりではなく、気温とか、環境の変化とか、そういう広義の「今日この頃の、現在」のことなのに。
この問答が、自分の思考のパターンに気づくきっかけになりました。
* * *
それで何周も回って気がついたのですが、「ストレス」という言葉を使う瞬間、わたしは「嫌なこと」「理不尽なこと」を特定しようとする思考がワンセットになりがちです。そのメカニズムが発動することそのものが、わたしの場合はストレスだった(笑)。
「誰も悪くないのだけど、うまく回っていないこと」というのは、当たり前に日々の中で発生するもの。
「なんかうまく回っていないことをそのまま放っておく」ということをするのが「休養」なんですね。
「うまく回っていないこと」の原因を特定・解決しようとする思考自体がストレスっていう感情に気づけたことが、わたしにとっては大発見というか、「手放すって、これか〜」と。
だから、ストレスがある時って、楽しいんですよね。楽しみがワンセットだったりもする。
これはヨーガの心理学でもいろんな角度から言語化されていて、わたしがガイドをするときに「呆けて(ほうけて)」と促すことの背景にあることと同じコンセプト。なんだけど、わたしはわたしのガイドを受けることができません。
今回は別の道のプロが目の前にいる状態で自分の中から言葉を出してみることで、自分の日常感覚で「手放せていない状態」を捉える経験をしました。