うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

覇権欲と承認欲のバランス


近ごろ仕事で仲良くなった人がちらほらクラスに遊びに来てくれるようになり、そのまえにヨガのことでこんなことを訊かれたりします。



 「ヨガはストレス解消にいい?」「瞑想とか、やってみたいんだけど」



ストレス解消とか落ち着くとかは、二次的なこと。なんにせよ、覇権欲と承認欲のバランスと考えています。
覇権欲が余っていたら、他人にそれを撒き散らさないために、ハードなアーサナをすることで解消されることがあるし、覇権欲がこじれた場合の攻撃的な思考の抑止につながると思っています。それが身体に向けばケガをすることもあるけど、心のケガよりは早く治るはず。身体のほうが物理的にブレーキが利くから。
承認欲が余っていたら、自分の存在、世界とのつながりを感じやすいプラーナヤーマや大地を感じるグラウンディングを主とするヨーガ、座位、横臥位に救われることがある。吐く息で力を感じると同時に重さと安定感を感じられる。これはタマスの高度な使い方。



最近わたしのクラスでアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガとヨガニードラを組み合わせているのは、こんな理由からです。
これを別の言い方で、「大人の遠足」と言っています。


わたしがヨーガを始めたころ、この感じを「まるで遠足に行った日の夜のようだ」と感じました。つべこべいわず、今すぐコテンと寝てしまいたい。ただそれだけの夜。大人になってから、こういうことがずっとなかったことに気づきました。
いままで意識して動かしたことのないことをすると、脳がいい感じでギブアップして、自分に対してまったく「どうなのよ」という気持ちが湧いてこない。頑張ったとか頑張ってないとか、意義があったとかなかったとか、それはさておき、寝る〜☆ と、心と身体が一致団結する。こんなにくったくのない自問自答は久しぶりだった。
「ヨーガはジャッジしない」というのは、この境地のことだと思っているので、わたしはクラスの前にあまりこういう話をしません。動く前に言っても伝わらない気がして。



ヨーガを始めたころに沖先生の本を読んだら「よくないことを考えるのは、そういうことを考える余剰エネルギーがあるから」とあり、なるほどと思いました。その後インドの聖者や思想家たちの本を読むようになり、彼らの思想の底辺には一貫して「人間は、放っておいたらマイナスのことに惹かれるようにできている。それが自然なことだ」という認識があることを知り、今までどれだけ「ポジティブ・シンキング教」が自分に重くのしかかっていたかに気づきました。



 「ポジティブ」は足し算ではなく、引き算で得られる。



わたしは子供のころ学校のイベントがとにかく嫌いでしたが、遠足から帰ったときだけは、それまでうじゃうじゃ気にしていためんどうな班や集団歩きやおやつのことなんか全部忘れちゃって、「いろいろあったけど、まあいいか」という気になったものです。「やっと終わったぜ」ではなく。嫌なことを忘れるのではなく、「面倒なこともあったけど、ま。いっか」という心境に至ってやっと、ストレスと溶け合える。
遠足の後の爽快感だけですべてをチャラにするのではないのですよ。遠足の前に考えていたうじゃうじゃした頭のはたらきも含めて、身体が頭をひっぱってリセットしてくれる、そういうことってあるのです。


わたしはこれを、30歳を過ぎてからヨーガで学びました。


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