この著者は経験者にこそ語ってほしいことを語ってくれる人かもしれない。
『東京四次元紀行』を読んで安心し、アルコールに関するこの本を読みました。
この種の本は身近な人の怖さを見てきたわたしにとって、要注意のカテゴリです。手を出すのに勇気がいります。
だけど『東京四次元紀行』を読んだら、大丈夫だろうと思いました。その通りでした。
太宰治も赤塚不二夫も美化しちゃダメだと書いてある。美空ひばりの死因の病の名称も、あれはアル中の言い換えだと。
今年の秋の始まりくらいだったと思うのですが、若者の酒離れをどうするかみたいなことがニュースになっていて、わたしはげんなりしたばかり。
著者もこう書いておられます。
アルコールは、コカインだったりヘロインだったりするものとは種類は違うけど、世界で一番メジャーなドラッグだと思いますよ。
(依存「物質」があるのではなく、依存「体質」がある より)
あんなに飲んでたくせに、そんなこと言い出すの?! という人が言ってくれているからこそ、この一行に価値がある。
アルコール依存って言ってみれば、考え方の病気です。
飲むとか飲まないってこともあるけど、ものの考え方そのものが、「オレはあのときにあれだけできたんだから今でもできるはずだ」とか、そういうふうにものを考えるようになる。アルコールだけじゃなくて、いろんな場面でそういう考えが顔を出すんです。
(考え方の病気です より)
この「考え方」への指摘は自分ごととして心当たりがあります。遺伝があってもなくても、その性質を持っている。仕事をしながらそう思うから。
過去にできたことができなくなった状態を突きつけてくれるモノサシとして、ヨガは心の羅針盤として、すばらしいツール。
「できなくなったりもするけれど、また、できてきた」という、後退や再生を確認できる場として、ヨガはいいんですよね。やればできるようになるし、やらなければできなくなる。やればまたできる。現状を認めるきっかけになります。
最後のほうに、ご自身の性格を分析して語られる流れに以下があるのですが、ここは多くの人に当てはまるものだと思います。
つまりまあ、わがままに生まれついてしまった人間は、他人から見れば好き放題に言いたいことを言っていてえらく気楽に見えるのかもしれませんが、本人としては、自分を機嫌よく保っておくというそれだけのことにいつも苦労している。だから、ファンタジーであれ酒であれ、自分がだらしなくしていられる場所や自分を楽にできる心理的な詐術のネタみたいなものを持っていないと、身がもたないわけです。
(「アメリカに行けば」と「どうせ死んじゃうんだし」 より)
「お気楽キャラ」「飄々としたキャラ」に自分を設定するのって、それがお酒ありきだと危険なのは当たり前。だってそもそも「お気楽」「飄々」って、努力なしには不自然なんだもの。
若い人たちがお酒を飲まなくなっているのは、日常で「空気を読める人」の評価が上がったからってことはないだろうか。お気楽な人に見られるには、めちゃくちゃ空気を読むスキルが必要だって、共通認識になっているような気がする。
朝井リョウさんとか、いま30代の作家の小説を読んでいるとそう思う。
わたしは「ヨガやマラソンにハマってる人」という設定を利用しながらお酒の席から少しずつ距離を置いていった過去があって、こういう面で、心理的な詐術のネタとして「スピリチュアル」はとっても便利と思っています。
生活習慣と文化史は密接です。わたしはたまたまヨガが自分にフィットしたけれど、風紀委員みたいにならないように意識しながら生活しています。