うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本 垣渕洋一 著

2020年の自粛生活をきっかけにノンアルコールビール愛飲者になりました。

もともとアート&お酒のカルチャーに憧れる10代、社会へ仲間入りしたかった20代、業務&根回しの便利ツールのひとつのようにお酒を捉えていた30代前半という変遷を経て、体力が山場を越えてきたあたりから10年ほどで、ゆっくりこういう考えに至りました。

 

 

気持ちのやり場に困るほどグッタリきちゃうような、人生に数度しか起こらない出来事を乗り越えるときに話を聞いてもらいたくなるのは昼間だし、お酒と相性の良いあの情緒を切り離して淡々と話せる人を想起するもの。

お酒が入ったら "ほんとうのこと" を話せると思っているなら、それは "お酒がないとほんとうのことを話せない" という方向へ舵を切ることになる、長い目で見たときに得策ではない考えです。

身体だけでなく精神や生活面での変化を乗り越える更年期はお酒と離れるチャンス。今はそのくらいに感じています。

 

 

わたしの実感として、30代までは "お酒はコミュニティに入るための道具” という言い訳が体力的になんとか成り立ったけれど、40代からのそれは目の前の不安を消す消しゴム。

機会飲酒の第一地獄は「それがないと打ち解けられない気がすること」で、その条件思考のロジックは中年期に都合よく反転し、「それがあった場に一緒にいたというだけで打ち解けたと勘違いすること」を自分の中で雑に構築してしまう。なんてこともある。

そしてシラフになった時にふと、実は心の底からは打ち解けてなんかいないと考え(そんなことは "ただの現実" なのに)、頭の中だけで自他の境界に過敏になって、また脳をだます方法で打ち消したくなる。ここまでいくとアルコールの無間地獄です。

 

 

わたしはこの二重構造をごまかして逃げ切って死んで行ける時代に生まれていないんだな、と思いながら現代を生きています。そして心をゆるめる方法、世界と溶け合う方法は他にもあることを知っています。

会話を狭くしたいときにお酒は便利すぎるし、さみしさに効きすぎる。そして回復はむずかしい。このメカニズムに気づいてしまったというか、気づいていたのはかなり前からなのだけど、身近に "その末路" の例が増えてきました。わたしも歳をとりました。

 

 グレーゾーンを超えていったん依存症という病に進行すると、それ以降は「ほどほどに飲んでお酒を楽しむ能力」を取り戻すことは極めて困難です。そのことを説明するとき、患者さんには「大根をタクアンに変えることはできても、タクアンを大根に戻すことはできない」というたとえを用います。

アルコール依存症に「治癒」はない(回復はある) より>

ここは本当にそう。治癒はないとわたしも思います。

大根は「ふろふき大根にするか大根サラダにするか、他のメニューとの兼ね合いで決めましょう。せっかくなのでね」という広がりのあるものとして存在できるけれど、タクアンはふさわしい場が限られるし扱いも難しい。

人間関係って、そういうものです。

 

 

個人的な思考の変遷をたどると、わたしは2019年の年末にタイのコーンケーンを旅したときに、ファミマのアルコールの冷蔵庫の扉に昼間はチェーンをかけられているのを見て、ああそうか日本が異常なんだと気づきました。

その後5年ほどで、ホルモンバランスの変化ってこんなに脳のはたらきに影響するの?! と実感するようになり、この重要な時期に脳を騙すやり方として、アルコールは手に入りやすく危険な物質と思うようになりました。

幸いなことに現在はこんなすばらしいものも開発されているので、この本に書かれている啓蒙が日本でも進んでいくのだとしたら、この流れに乗っていきたい。そう考えています。