先日、ご家族のことで自身の考えを整理されているかたとお話ししていたら、時代や環境、遺伝の話になりました。
わたしは性質・性向に遺伝が最大49%影響することを想定して、身体的なもの以外でも、親の考えかたの傾向・考えないことや苦手なことの傾向・その身体を包んでいた時代や地域の価値観など、直接教えてもらったことも含めて参考にしています。
最大49%というのは科学的な根拠ではありません。遺伝の要素にはさまざまな項目があって、影響の最大値はそれぞれ違うようです。それをざっくり慣らして半分・・・として、半分は厳密には50%。
だけどそれよりも1%多く、あくまで自分が、株式の過半数はわたしが保持しているのだという前提での、そこからの引き算で「最大でも49%」です。
持論というかな。自分を自分でドライブする前提でのわたしの考えかたです。
とくに年齢を重ねていくうえでは、遺伝を想定したときに注意すべきことを念頭に置いています。
閉経の頃にここがしんどかったとか、メンタルのことも含めて母親から教わっています。母の時代はこんな間違った健康情報が流布していた、なんて話も聞いたことがあります。
物質に頼らない方法も知っておきたくて、ヨガやアーユルヴェーダの知恵を頼りにしています。
世間で否認の病と言われる依存症の父親とも、同居していた頃にいろいろな話をしていました。第三者の介入や助けを受けながら、「否認の」というのはあくまで本人以外からの見えかたで、本人にとっては否認はないことを知りました。
「認める」って、そもそもかなり心が鍛錬されていないとできません。政治家の失言のあとの対応を見ると、そのむずかしさがよくわかります。
なので依存物質に気をつけるのはもちろんなのだけど、そもそも自分のできていない面を認めるのはむずかしい。その性質に対する葛藤を「あるもの」としたうえで方法を探すようにしています。
言葉の面でも、「ノイローゼ」「キチガイ病院」のようなフレーズをしれっと口にする親世代とわたしの間には、メンタルヘルスの社会常識にギャップがあります。
無意識レベルで継承されてきた価値観はそう簡単に上書きされない前提で、自分の考えをその都度整理しています。
どんな精神状態で生きていきたいか、どんなことに敬意を失わずにいたいか、なにが自分の誇りや下支えになっているかを確認しておかないと、DNAと社会的な心理学トレンドの矛盾に振り回されすぎてしまいます。
遺伝や環境を直近の引き継ぎデータとして認識しつつ、自分を自分でドライブしていく。
自分をリフレッシュさせてくれたり、尊敬の気持ちを引き出してくれるもの・ことを繰り返しながらやっていくのだと、そんな気持ちでいると、大げさになりすぎずにいけます。
子供の頃に「もっと長くゆったり構えて。大丈夫だよ」と先生が言ってくれたり、「気にしない気にしない」と一休さんが言ってくれた、ああいうのが、自分が大人になっても必要。
必要なのよ、と思っています。
同じ時代を励まし合いながら生きて、なんとかやっていこうね。
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余談の絵日記:
先日、友人といたところを、その場にいた別の人が写真に収めてくれていました。
友人の座りかたに透明な先輩風が吹いていたのでサングラスをつけてみたら、ペンギン村でしごかれ中の絵ができあがりました。
一緒にリフレッシュしながら励まし合っています。リフレッシュが必要だとお互いわかっているから運動をしている。心の畑を耕す、畑仕事の仲間。
最近つくづくそんなことを思います。