うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

太鼓たたいて笛ふいて 井上ひさし 著

この物語は、当時としては非国民扱い待ったなしの発言をした女性作家・林芙美子が主人公の戯曲。

国防婦人会の集まりでこんなことを発言したと話題になるセリフから、その心がどっしり伝わってくる。

「一昨昨年から一昨年にかけての八ヶ月間、わたしは内閣情報局陸軍省から派遣されて、シンガポールやジャワやボルネオなど、わが国が占領した大東亜の東南部一帯をくわしく見てまいりました。その目で見ると、もうどんなことをしても、こんどの戦さに勝つ見込みはありません。こうなったらキレイに敗けるしかないでしょう。しかし、この国を上から下まで見渡しても、キレイに敗けることができるだけの器量と度量を備えた人間はいないようです」

小説「浮雲」の世界を見たあとの気持ちを語る、この発言! かっこいい! すてきな伝記をおもしろく読んじゃったなぁ。この戯曲はとにかくテンポが良くて楽しくて、説明的に見えないのに戦争に対する意識の移り変わりがよくわかる。林芙美子は参戦ムードと軍人に対して積極的に媚び、その物語にがっつり乗っかっていく。小説「浮雲」以前の山っ気ありありな様子がいい。

このムードに乗っかっちゃえよ、売れるぞ売れるぞとそそのかす人物がいて、この人物が物語を転がしていく。そしてそこから反省に向かう流れはダラダラせず、サクサク進む。


この物語はほかに女性がふたり登場します。芙美子の母・キクと、島崎こま子という人が登場します。キクさんは尾道での生活が描かれた小説のお母さん像そのままのおもしろさ。キクさんは漢字の読み書きができないために、娘の頭の中にあることが文字になると大金に換わる仕組みが不思議でしょうがない。近所の人に「放浪記」の生原稿を売って、高く売れることで感覚的に確認したりする。もちろん娘の芙美子は激怒り。そんな愉快なエピソードが盛り込まれています。

島崎こま子はそんなキクさんに文字の読み書きを教えます。わたしはそのまえに島崎藤村の「新生」を読んだばかりで、この戯曲を読んだ目的は島崎こま子(藤村の姪)の扱われ方を知りたかったからなのですが、なんとも魅力的な女性として描かれていました。会話はフィクションだけど、林芙美子は実際に島崎こま子にインタビューをしていて、まったく接点がなかった訳じゃない。


「新生」という小説は40代後半の島崎藤村が当時まだ19歳か20歳であった実兄の娘・こま子を妊娠させ子どもを成し、それを世間に暴露し一家をめちゃめちゃにした、事実と小説が重なって進んでいく強烈な本です。その非道っぷりは現代人の想像を遥かに越え、また妊娠したら困ると言っているこま子を島崎藤村は数年後も相変わらず抱き続ける。

やっていることは異様なまでの鬼畜ぶりなのに、小説としてはさも純愛のように最後まで読まされてしまう。巧妙な文章で読者に恐ろしい体験をもたらす小説です。その当事者であった島崎こま子と林芙美子のやりとりがどんなふうに設定されているか。

誇張のないセリフで林芙美子はこう言います。(というか、著者の井上ひさし林芙美子にこんなセリフを与えます)

藤村が書いたたくさんの作品、それは尊敬に値いします。しかし、それを書いた藤村という男は卑怯者だわ。小説という、どのようにも書ける仕掛けを利用して、自分の罪をぼんやりぼかしながら神妙に世間に向けて懺悔する。そして、まんまと救われる。

「小説という、どのようにも書ける仕掛けを利用して」と林芙美子が言うのがいい。島崎藤村林芙美子も、読み手の心を迷子にさせずにその情感に引き込む小説家の運動神経がずば抜けている。仕掛けを利用する圧倒的な技術を持った林芙美子島崎藤村をまっすぐに批判している。

さらにこの林芙美子のセリフに間の手を入れる人物設定も最高。彼はこんなことを言います。

世間には「自分から懺悔する者をそうはきびしく追い詰めるな」という物語があります。さすがは文豪です。物語をうまく使いますね。

この人は林芙美子に「戦争へ向かう軍人さんは素敵♪ という物語に乗っかっていけば売れるよ~」と焚き付けてそそのかす人物で、「物語を使う」ということにかけてはプロ中のプロ。その人にこんなセリフを言わせている。

 

どの題材をとってもクリティカルでしかないと思うくらいヘヴィなトピックで構成されているのに、全体的には明るい。戯曲の仕掛けを利用することのすごさを見ました。戦争にまつわるユーモアとして一瞬サマセット・モームの「夫が多すぎて」の引用のような話が織り交ぜられていたり、小ネタの使い方もいちいちニクい。全体的に悲しくて粋で、ときどき雑であったかい。なんだかすごくいいものを読んだぞ、という気持ちになりました。

 

太鼓たたいて笛ふいて (新潮文庫)

太鼓たたいて笛ふいて (新潮文庫)