浪華悲歌は「なにわえれじい」と読みます。
いずれも1936年の溝口健二監督の映画で、87年前のパパ活の話。
欲しいものを買うためのパパ活ではなく、家族を養うため、あるいは自分が生活するためのパパ活。
パパたちはわたしたち世代が子供の頃の小学校の校長先生とか、こんな感じだったよなぁと思うような人たち。
そしてギャルを演じるのは、19歳の山田五十鈴さま(なんと産休明け)。
セリフ回しがどうにもすごくて、早口の関西弁と、最初は大きなことを言っていたのに小さいことを言い出すパパに見切りをつけて次へ行くときの切り替えが容赦ありません。
この容赦のなさが最初のうちはコメディタッチで観られるのだけど、だんだんそうではなくなっていきます。
わたしは「山田五十鈴」という名前を、映画よりも先に小説のなかで知りました。林芙美子の小説『下町』で、登場人物の部屋に貼られていたブロマイドの女優の名前として知りました。なので、もっと昔の人だと持っていました。
だけどそれは「山田五十鈴」が長寿かつ10代の頃から大活躍していて、林芙美子が短命だったから。
どちらの映画も和装・洋装の着こなしから時代と自我の変化が見えて、斜めに帽子をかぶった洋装の山田五十鈴さま×磯野波平さんのようなパパという組み合わせが、現代のパパ活の源流。
約90年という月日が経っても変わってない。
この二つの映画は、日本の古い映画が好きなヨガ仲間の人から教えてもらいました。
観た直後は、わたしもつられて山田五十鈴教に入信しそうな勢いでした。
あの滑舌とセリフ回し、ものすごく早口な関西弁はとんでもない迫力で、圧巻でした。
視覚的にもずっと惹きつけられっぱなしで、『浪華悲歌』はモダンな建物と衣装がよく、『祇園の姉妹』は路地と古い家財道具がいい。
絵になる映画でセリフが濃くてメッセージもストレート。マリリン・モンローが最初に結婚したのが1938年で、ちょうどこの映画と同じ時代です。
美しくて意思を持った女性の消費のされかたをギュッと濃縮して見せられる映画でした。