うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

出世と恋愛 近代文学で読む男と女 斎藤美奈子 著

読みながら何度も声を出して笑ってしまう本に久しぶりに出会いました。

いやー、これはおもしろい。開放感がある。

だって、わたしも読みながらずっとそう思っていたんだもの。

著者の話についていきたくて、もっと笑いたくて、評されている小説を全部読みたくなりました。

 

 

話はいったんガラリと変わってまた元に戻すのですが、先日 Sportify というスマホアプリで昭和アイドルのリストを流していたら、「木綿のハンカチーフ」と「卒業(斉藤由貴)」が流れてきて、ああそうそうこのスタンスの差よ! と思って聴きました。

 

 

わたしは後者の世代です。斉藤由貴を聴いた世代です。

彼女は、高校を卒業したら過ぎる季節に流されて疎遠になることを認識した上で、「卒業しても友達」というのは嘘ではないから、まあそう言っておいたらいいんじゃね、と歌っています。

「離れても電話するよ」とか言ってるけど、あんまそういうの言わんほうがええで、とも。

 

 

子供の頃には「木綿のハンカチーフ」をよく聴いていました。

リアルタイムではないけれど、大ヒット曲なので何度も懐メロ番組で耳にしていました。

嫌なあてこすり女の話だなと思ったのは大人になってからで、その比較対象となるのはやはり、「卒業」の歌詞の視点です。

 

 

  *   *   *

 

 

── と同じようなことが、文学を題材にこの本では語られています。「木綿のハンカチーフ」の世界という章に、こうありました。

野菊の墓』は、大人になった現在の「僕」が、少年時代を振り返る回想形式で書かれている。「裏切る男」を純愛の主人公に変えるマジックが「回想」だ。

 テキストのラストを読めば、彼も木綿のハンカチ男だったことが判明する。

わあ!(爆)

野菊の墓』といえば、コロナの絶賛自粛期間中に友人から勧められて読んで、ふたりでツッコミを入れまくった小説。純朴ぶってるけどなんか引っかかる、それはなんだ・・・と話した夜があった。

結局は事なかれ主義のマザコンなのだと思っていたのだけど、それだけじゃなかった。

再読したら、きっとまた感動して泣くけど。(名作なんだもの)

 

 

 

『新生』でセクハラ・パワハラモラハラの三拍子揃えた男を純愛の主人公に変えるマジックを披露した島崎藤村も、このように「ちゃんと」一蹴されています。

 大正期の自然主義を代表するのは、田山花袋島崎藤村である。とはいえネームバリューのわりに、島崎藤村はいまやほとんど読まれていない文豪である。致し方あるまい。暗い、まどろっこしい、サービスが悪いと、藤村は三拍子揃っている。

私小説はカミングアウト小説 より)

島崎藤村のサービスの悪さは、本当に、いまの時代じゃ存在できないレベル。

プライドが高くコミュ力がなさすぎて周囲に気を使わせ孤立ちゃった人と、なぜか個室にふたりで閉じ込められたような、そんな読書時間になる。

だけど、そういう人の内面をあますところなく文章にしてくれているので、精神科医の人が題材にするにはすごくいい資料なんだろうなと思います。

この本を読んだときに、著者(精神科医)が過小評価されている作家として見ていました。

 

 

島崎藤村の小説には、リアルじゃ絶対に関わり続けられない人が自分のことを喋っているのを聞ける貴重さがある。

そもそも、どっちも苗字みたいなペンネームをつける時点で、やっぱりサービスが悪い。どっちも名前みたいな人(例:由美かおる)って、すごくサービスがいい感じがするもんな・・・。

 

 

この本は昔の文学の様々な「そーゆーとこだぞ!!!」という部分を、片っ端から整理していく勢いで、すっきり感がものすごいです。おもしろかったーーー!

徳富蘆花の『不如帰』が全然読み進められなかったのだけど、この本で満足しちゃいました。