うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

記憶(smrti)に興味があるから、苦労話マーケティングに手を出したくないと考える

年々、自分の苦労話を不用意に口にしたくないと思うようになっています。経験については同じ立場・職種など特殊な状況を共有する場合に二人きりなら話しますが、苦労話はしないよう心がけています。よく頑張ったねと褒められて気持ちよくなった後にやってくる、あの自己嫌悪に耐えられない。話したら話したで苦しくなるのはなんでだろ。頑張ったねと言わせた感じがするからかな。
それがここ数年で、「苦悩は秘めて耐えるものだ」という根性論や「不器用ですから」で背負いこむスタンスではないかたちで、お酒を飲む回数や量が減っていくのと同じように自然に減らせています。この調子でいきたい。

 

先日、ヨガ仲間と二人でリラックスして話しているときに「自分の苦労話で人をおびき寄せるような、不幸マーケティングに手を出さないようにしている」という話をしたら、理由を話す前からかぶせるように「わかる!!!」と言ってもらえてうれしくなりました。

 

 

  その「蜜」を求めて寄って来られることを、わたしは望んでいない

 

 

その味を繰り返し求める人、求めてさまよう人の勢い、あのエネルギーはなんなのだろう。そう思うことがこれまでに何度かあったのでした。
これはなかなか口にするのがむずかしいことです。なので細かい説明抜きに「わかる!」と即答されたのがうれしかった。そして、同時に思いました。

 

 

  さてはあなた、その蜜を求める人のギラつきを見たね…(←ちびまる子voiceで)

 

 

30代の頃はわりと悔しかったことを書いたり口にしたりしていたけれど、いまは何度も自分の中に深く潜って、悲劇のヒロインとして脚色したくなる自分や武勇伝に仕立て上げたい自分と向き合って、ひとり相撲で思考力を燃やしているうちに消化されていく。
脚色しようとするほうがまだましかもしれません。脈絡なく「ありのまま」とか「思わず、つい」ということにして出すのは迂闊すぎるし、助詞や起承転結の精査を欠いた文章をつるっと出して文脈の理解を相手に委ねるのもずるいと感じる。雑なポエムを書いてしまったときの罪悪感といったら、もう。

わたしは20代の頃にキャッチコピーを書く仕事をしていたので、思わせぶりな文章を書くとき、その手法をとることに対しての自覚が強くあります。そこに手を染めるからには数字を獲りに行くことを優先したと自認することが癖づいている。だから、避けるからには言葉を尽くしてちゃんと避けたい。数字を獲りにいくなら「どんな定義の、どの数字か」という詰めを怠ることができない(職業病か)。

 


そんな逡巡を経て思うのですが、苦労話を露出すると一定数「苦労しているあなただから信頼する」という関係性がデフォルト化した人が近くにいる状態になってしまいます。こちらの意図しない前提(苦労ありきの信頼)が相手の中で増えていくのはわたしの望む方向ではありません。地獄めいてる。ダンテの神曲の地獄篇はまさにこんな感じです。いま天国篇まで読み進めているので、なおさらそう思います。



振り返るとわたしがこれまでいい影響を受けたと思う人は、おしなべてそこを積極的に切り離していくスタイルの人ばかり。その人といると、若い頃にスキーで頭を打ったときの感覚を思い出すのです。
人は、記憶に支配されているから。


どの記憶にいまの自分を支配させるかを決めるのも自分だと意識するようになったのは、いつからだろう。バガヴァッド・ギーターを何度も読むようになった頃にはそうなっていたはずで、いずれにしても自分はどの記憶の奴隷になるかどうかも選べる。


具体的につらい出来事を乗り越えたいと思うとき、同じ経験をした人の話はとてもはげみになる。そうでないときは、どうだろう。他人の苦労情報を必要な量・タイミングを超えて欲しがる人は、記憶の味覚や胃袋がちょっと麻痺している状態じゃないか。そういう意味で、不幸マーケティングをしないというのはジャンク・フードを安売りしないのと似ていると考えます。
わたしはジャンクっぽいフードでも、出すなら「ツブポン」や「ねりねりねるね」みたいにしたい。作業にわくわくする流れを盛り込みたい。経験そのものが、その都度ポジティブな印象とあわせた経験になるように。年々そんなふうに考えるようになっています。わたしが誰かと腰を据えて話をするときに読書会や練習会という形式をとろうとするのも、この考えの延長線上にあります。
(最後の商品名のとこ、ヤングはいつものようにググってくだされ~)