うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

お酒を飲む友人

わたしの人生にエピソードが少なくなった気がするのは、外でお酒を飲まなくなったからなのか、夜中まで出歩いたりしなくなったからなのか、感度が鈍ったからなのか。

先日の本の感想の通りで、読みながらふとそんなことを考えました。

 

 

わたしの友人にひとり、ものすごくお酒を飲む人がいます。新宿のゴールデン街へ出かけています。

その人(Tさん)から聞く人間関係の話はどれも濃く、カルピスを原液で出されたような味でうぎゃあっとなるのだけど、ゴシップ的な吸引力があります。

わたしも30代でヨガに手を染めなければ(?!)、その世界にどっぷり浸かる別バージョンの人生があったかもしれないと想像しながら聞くと、映画を観ているような気分になります。

 

 

ついこの間、別の出会いがありました。

現在のわたしは早朝から爽やかに散歩をするような生活をしています。なのにあの世界にいる人は謎の嗅覚で近づいてくる。なんか見つかる。

先日、買い物の帰りに店員さんから話しかけられ、立ち話の後に名刺をもらいました。名刺を差し出しながらSNSで検索して欲しいと言われたので翌日に検索してみたら、ゴールデン街で店を構える店主のPR活動をしている人でした。

 

 

Tさんとしばらく話していなかったこともあり、雑談がてらメッセンジャーアプリで連絡をし、そのあと電話で今日買い物の途中でこんな人に会ったという話をしました。

そうしたら、以前 Tさんから聞いたことがある人間関係の話がまさにそのお店のことで、せっかく忘れていた記憶を温め返すことに・・・。

そしてそこから、別の重い話を聞くことになりました。それはTさん個人に関わることで、どのタイミングで聞いても複雑にあれこれ心配してしまいそうなこと。

わたしたちはふたりで夏に楽しい旅行をしたのに、以後 Tさんからまったく連絡がなくて、忙しいのだろうと思っていたけれど時間がたちすぎな気もしていて、もしかしたら自分があの旅の道中に失礼なことでも言っただろうかと思っていたのだけど、そうじゃなかった。

あの旅があまりにも楽しかったから、その逆の出来事を話すのに躊躇していたと言われました。

 

 

わたしは友人からドロッとした人間関係の話を聞くと、別の面を生きた感じがして、清濁併せ持って整った感覚になることがあります。なぜだかわからないのだけど、"健全すぎて不安定" という謎のバランスが自分のなかに存在しているみたい。

先日紹介した燃え殻さんのエッセイを読んでいると懐かしくて気分が落ち着くのは、たぶんこのせい。今回の本には出てこなかったけれど、たまにゴールデン街の話が出てきます。

 

 

健全すぎて好調なこともあれば、健全すぎて不安定なこともある。

だからわたしは友人の不健全な話を聞くときには、それは安定のために吐き出されたものとして聞くことにしています。

自分が健全すぎて絶好調なときは、誰かにとって必要なタイミングでうまい話が出てこない。これまでに何度かそう思ったことがあります。

そういうことって、ありませんか。