ふとしたときに感謝と尊敬の感覚が心の底から湧き上がってきて、そういう気持ちになる。
またそれを再現したいから、そういうものが知りたくなる。
昔の日本のヨガの本を読むと、「生かされている」というフレーズを目にする。
わたしにとって「生かされている」という日本語の七文字の羅列は、目で読んでインプットしたもの。
だから借り物のような感じがする。口に出すと口先だけの引用のような気がするから、自分では言ったことがない。
内部で複雑さを感じる。
よくヨガクラスの最後に指導者が口にする「ヨガができる体と心(あるいは環境)に感謝して」というのは、練習中にふわっと湧いてくるもので、「ああ、もうじゅうぶん人生楽しんだ」という気持ちになっている。だから、練習の最後にそれを言われると、本当にそうだなぁと思う。
負の感情が湧く瞬間もある。いろんな瞬間があるのだけど、トータルで正に振れているから、ヨガを楽しんで続けている。
自分の中で起こる心の複雑さと、それでも生きていくことについてを思うとき、先人たちの言葉をたくさん本で読んできたけれど、わたしの中で最も感覚的に近いのは、
いとうあさこさんの声で脳内再生される
生きてる!
という、あの感じだったりする。
神妙ではない。
まさに借り物であり引用ではあるのだけど、そこに「生かされている」の七つの文字列のような重さはない。
街で八つ当たりをされて、チッと舌打ちするような気持ちになったときにも
生きてる!
となる。
そうすると、いろんなことが生活の一部になる。
浅倉南、38歳。
なんだか最近、イライラする。
この衝撃ったらなかったもんね。
わたしにも朝倉南と同じ、17歳の頃があった。もう思い出せない。
そして生きていれば38歳にもなって、人生は続く。
時代のフレーズってあると思うのだけど、わたしの場合は自分の住んでいる国が戦争をしていない時期に生まれたというのもあって、「生かされている」よりも「生きてる!」のほうが自然です。
今日はタイトルの後に(1)と番号をつけています。
このトピックはここ半年ほど、たまたまいろんなきっかけがあって考えたので、わけて書きました。