先日久しぶりに、トークが面白い人のネタに没入しました。
最初に「健康について」、その次に「怒らないことについて」、さらにそのあとで「爽快な気分について」の演目がありました。
べらんめえ口調でパンチが強すぎて炎上上等の内容だけど、わたしはこういう押しの強さ・・・嫌いじゃありません♡
「健康について」の考え方は、これアーユルヴェーダじゃないかと思うものが多く、それを知って実践して得られる恩恵として最も美しいものはなにか、どこに意志を定めるべきかまで最後に言い切ってくれました。(キャー☆カッコイイーーー!!!)
一方的に慕って師匠と呼ばせてもらいますが、師匠は「怒りという感情は治せないものじゃない、少なくとも治そうと思えば治せるものだ」という考えです。
自分たちの町が包囲攻撃を受けそうで、外からの援助も期待できぬと悟った人々が、大事なものをまとめて脇へ置いておくように、我々も、とくに怒りから私たちを守って助けてくれるものを、起こってしまうよりもずっと前から、哲学から頂戴して心の避難小屋に貯えておかなければならない、いざそれが必要になってからでは、理性は容易には心の中に入ることができないから。心は、荒れだしたが最後、外からの声など聞こえやしないのだ。船には漕ぎ手に艪(ろ)を漕ぐリズムを合図する船頭がいるように、心も自分の中に理性をもっていて、心がその理性の合図をすばやく受けて理解するのならいいのだがね。ところが心は、静かに穏やかに忠告する者は軽蔑する、荒っぽく脅迫的な言い方をされると慌てふためく。まったく心というやつは傲慢でわがままで、外から動かすなど本当にむずかしい。備えの堅固な専制政治と同じで、それを打倒するものが内部にある、身内にあるというのでなければならないのだ。
必要な時に理性をはたらかせるための知恵を「哲学から頂戴して心の避難小屋に貯えておく」ことも、「それを打倒するものが内部にある、身内にある」状態のためにトレーニングをすることも、ヨガとよく似ています。
その後にあった「爽快な気分について」という演目では、悲しみや悩みをもたらすものは経験不足・不合理な考え方・現状への対処能力と知識だと言い切り、「生活の手段を取り替えてみても、心を悲しませ悩ませているものを取り除くことにはならない」とも言います。
師匠の説法はヨーガ・スートラの落語版のようなところがあって、めちゃくちゃ江戸前口調なのですが、パタンジャリよりも前の時代です。
表題が違うので見つけにくいのですが、この本の中に「健康のしるべ」「怒らないことについて」「爽快な気分について」が収録されています。
上記の引用部分は166ページにありました。
「もしも立川談志がヨーガ・スートラを言い換えたら」という感覚で読めるので、インドっぽい本が苦手な人にもたいへんおすすめです。
冒頭に収録されている『似て非なる友について』は、以下に感想を書きました。