うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

蜜蜂・余生 中勘助 著

この本は亡くなった義理の姉との想い出を日記形式で回想する「蜜蜂」と、それを出版し送り届けた人々から寄せられたお悔やみのメッセージ・感想で構成された「余生」が収められています。
中勘助は半年の間に義姉の末子さんと、実の娘のように親しくしていた妙子さん(友人の娘)と、実兄(末子さんの夫)を亡くしています。兄は長年介護が必要な生活をしていた人で、妻に先立たれた後、弟・勘助の結婚式の日に自分で命を絶ちました。
中勘助は長年独身でいたのですが、義姉の死後いよいよ兄の介護をする人が必要と感じ57歳で結婚をします。初婚です。縁談を組まれ相手となった42歳で同じく初婚の女性は介護者として採用されたような結婚でありながら、その介護対象者が結婚と同時にいなくなったということになります。
義姉(本の中では「嫂」あによめ、と書かれます)の末子さんは夫から暴力を受け続けながら、義理の弟である中勘助をとても頼りにしていたようで、この本にはその様子が細かく書かれています。
文字列で書くといろいろややこしく壮絶なのですが、中勘助はこれを境遇・システムの問題と解釈していて、「蜜蜂」のなかで以下のように書いています。

僻みやすく、憎みやすく、かつ他人に対する思いやりを知らず、他人を信じないことをもって信条とする年寄と半痴半狂の兇暴な夫をかかえ、私情を先にして権威をふるおうとする下劣な親戚に悩まされつつ無経験な女の細胞に内外の俗事までを切り廻してゆかなければならぬ姉の気持ちはどんなだったろうか。

(蜂蜜 三十一日 より)

あなたは女で弱かったし、それほど気の毒な境遇にあった。わたしは棄てようと思えばいつでも家を棄てられたし、また棄てたこともある。あなたにはそれが出来なかった。あなたは自殺するよりほかに家を棄てる道がなかった。

(蜜蜂 四日 より)

 

「余生」のなかでは、このように回想されています。

私の家はあなたの身をこっぱいにした奉仕によってようやく維持された。しかもその事のためにあなたはかえって憎悪の的となった。忠孝一義を説き、国をして一大家族集団たらしめようとする都合上──それがいかに高尚な動機によるにせよ──家族のなかに人為的に現人神(あらひとがみ)を設けようとするかにみえる愚挙は時世の進展につれて家族制度そのものを内から根底から破壊する結果を齎(もたら)すでしょう。旧来の家族制度のごときは十年一日のごとく静止し、停頓し、固定させる社会、各人の知識が殆ど零において均しく、生活能力の大小は概ね年齢経験の多少によるごとき社会、一般に個性の発達がなく各人は当時流行の型にはめて焼かれた土偶にすぎない社会において通用するもので、今日にして明日をはかることのできない変転推移の烈しい時世に行わるべき、はた行うべきものではないのです。

(「余生」より)

ずっと明治時代の家族制度の理不尽さを訴えています。わたしはこんな屈辱的な目に遭った、ひどい! 私もよ! というような遠回りなフェミニズムでは着地できないところへ、兄弟の「弟」という立場で進んでいく。

 

当時の女性が思考停止するしかない心のありようも気になりますが、男性の複雑な心境も気になります。「蜜蜂」に感想を寄せる人のなかに、少し意図の読み取りにくいことを書いている人がいました。

家族制度については僕は宿命論者。一切の悲哀も圧迫もそれを被る卑族にとっては避けがたい。悲しみぬいて忽然とそこから大きな自由をつかむことを考える。たとえ僕の一生がここのお姉さんのように苦しみの生涯であってもそれはまさにしかあるべきことと信ずる、愚鈍なものに対する止むを得ない賦役だから。ここから永生を知らなければ。お姉さんは仕合せだといった。だが著者が制度の欠点を知り改革せんと欲することはまた同じ。天の賦役にして我と異なる所はない。

(「余生」 溝辺祖山氏からの「蜜蜂」への感想の手紙より)

お姉さん(中勘助の義姉)は自分で「仕合せ」だといったと「蜜蜂」には書かれている。けれども、義弟の中勘助はその人を制度の欠点の犠牲者の不幸な人だと思っていて、改革が起こらなければいけないと考えている。

この手紙の主(溝辺祖山氏)は、どっちの気持ちもわかるよとしたうえで、自分は宿命論者だという。だから行動することはしないけれども、改革(平等化)の結果も受け入れるという点では天の賦役者という点で仲間だよと言っているようです。

わたしはこの部分を読んで、この手紙の主は誠実なのか? と頭が混乱しました。自分は男性であったからそれを逃れてきたという自覚があることを認めている。でなければ「一切の悲哀も圧迫もそれを被る卑族にとっては避けがたい」なんて吐露はできないら。嫁いでくる女性を卑族と認めているところが、いまの感覚で読むと何周も回って誠実に見える。

 

この本は日本の家族制度の歴史を見るのにとても資料価値が高く、男性の中には何人か語尾の丁寧語が「候(そうろう)」になった候文の人がいて、当時の人々の書いていた文章のさまざまなスタイルを見ることができます。

わたしはこの本を読むことで、中勘助の師である夏目漱石中勘助夏目漱石の生徒。漱石の推薦で作家デビューしています)が小説「虞美人草」のなかで女性主人公を死なせた背景がずいぶん想像しやすくなりました。そして「行人」という小説のモデル(あるいは着想の元)は中勘助兄弟ではないかと思うに至りました。どうにも、構図が重なって見えてしょうがないのです。

 

 

提婆達多(でーばだった)のこと

「蜜蜂」には、「提婆達多」を執筆した頃のことも少し書かれていました。

 「提婆達多」の出たのはそれから約十年後、信濃町の家にいっしょにいた時だった。姉は夜となく昼となく正気かしらと思うほどくりかえし読み耽った、しまいには外から帰ってきた私に見つけられまたかと笑われて顔を赤くするまでに。姉は読んで泣いた。「提婆達多」は幾多の欠点をもってるけれども私が魂をもって書いたものである。

(「蜜蜂」三十一日 より)

この部分を読んで、喉の筋肉がものすごい勢いで収縮しました。あの物語が壮絶な親族関係の中から生まれたものかと思うと、そしてそれを読んで泣いた義姉・末子という人のことを思うと複雑な気持ちになりました。

提婆達多」の中に込められた中勘助の内省はすさまじいもので、わたしはこの物語をバイブルにしそうな勢いなのですが、著者自ら「余生」のなかで亡き義姉に対して吐露する以下の気持ちは、小説の中に込められた思いを客観視したものと読み取れます。

もしあなたがいなかったら私は道徳の皆無ではないけれどその甚しい歪曲、混濁、我意的操作、私情的悪用の環境のうちに生活した者のまさに行くべきところに行ったでしょう。

(「余生」より)

わたしは「自分はあのまま荒みきっていたら、どこまで行っていただろう」と恐ろしい回想ができる人を信用します。「提婆達多」という小説はそんな内省の力に満ち満ちた作品で、200%恨みのエネルギーで書かれながらも、著者自身が心のヘドロを都合よく加工しようとする作為を徹底的に制御している。200%のものを、それ以上の浄化力をもって書かれている。

 

いっぽうで、日常では「この人にぶいなぁ」と思っている身近な人への態度に笑える所もありました。

中勘助の本を)「むずかしくて読んでもわからない」という人の厚かましさを愚痴っている場面で、こんなことを言っています。

「私の本はみんな修身書のつもりでお読みなさい」

(「蜜蜂」六月二日 より)

その直後に、にぶい人にこれを言ってもブーメランなんだけどさ、という趣旨のことを書き残しています。

末子さんは「提婆達多」を何度も読んで泣くような人であったけれど、そんな義姉と自分を囲む女性たちはわりと単純で、そういう人たちとも仲良くやっている。

 

 

ホワイト勘助

さて。中勘助といえば、美文が有名な作家です。「銀の匙」が代表作といわれています。

わたしは「銀の匙」や「島守」の中勘助をホワイト勘助、「」や「提婆達多」のほうをブラック勘助と心の中で呼んでいます。この「蜜蜂」「余生」は白黒比が4:6くらいでやや黒寄りのグレーなのですが、その「4」のなかに差し込まれるホワイトがまぶしい。クラクラします。

きょうは朝から手紙や、習字や、原稿でくたびれたからあしたとりましょう。白蝶がとんできて藤の葉にとまった。あなたじゃないかしら。

(「蜜蜂」十一日 より)

末子さんを回想して「あなたじゃないかしら。」で終わる。日常の雑事を淡々と綴った後に、末尾にこれを入れてくる。こういうことをする。ずるい!

 

以下のような書き方は、もう名人芸。

晴れた日の午後など青空のしたで台地の、周囲に遮るものもない豊かな日光に浴しながら、ペルシャ王のそれのように夢想された花壇の設計など語りあいつつ汗になって働くのは真実楽しかったけれども、しかし土ふるいという仕事は決してらくではなかった。私はたびたび腰がのびなくなるまで、過労のため顔が蒼白くなるまで働いた。その報いには荒れた畑の土が打ちかえされた綿みたいに柔くなり、色あげをされたように鮮に潤いをもって大地にのみ特有のコクのある薫りを漂わすのであった。

(「蜜蜂」二十四日 より)

仕事の後の畑の土を描写するラスト一行が、まるで食レポ

 

 

以下は、ある一日の日記。まるごと引用します。

 十五日

 警戒警報もきのう解除されました。書斎の籐椅子に長くなって朝の涼風にあたってると阻塞気球が遠いのと近いのと二つみえる。尾鰭とまん丸な目がついてとんと金魚の形。風のまにまにあちらむきこちらむきするたんびに烏賊になったり、ふくら雀になったりする。泳ぎまわればなお面白いがそれは阻塞気球の役をしないでしょう。しかしこんなことをいってるのも爆撃されないからのことでロンドンみたいにやられたらあれが鮫にみえるでしょうね。色合などはむしろ鮫です。

 私の好かない季節。汗は出ずに、むし暑いというのでもなく、妙に体が内ぼてりする夏から秋へのうつりかわりの時になりました。

(「蜜蜂」より)

戦争時代の日常がこんなふうに書かれています。楽観も悲観も、ちゃっちゃと並べて調合してしまう。どうにも不思議な日記文章。

信じられないくらいブラックな作品も書いているのに、その印象をぜんぶホワイトで上書きできてしまうほどの白魔術的文章使い。

「あなたじゃないかしら。」がしばらく自分のなかでブームになりそうです。まだ生きている人を使って末尾に「あなたじゃないかしら。」を入れるとけっこう楽しいのです。 かりんとうの袋を開けたら、コバエが寄ってきました。あなたじゃないかしら。 なんて呟きながら、身近な人を思い出してみたりして。

 

蜜蜂・余生 (岩波文庫 緑 51-7)

蜜蜂・余生 (岩波文庫 緑 51-7)

  • 作者:中 勘助
  • 発売日: 1985/09/17
  • メディア: 文庫