うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

提婆達多(でーばだった) 中勘助 著

中勘助の小説にはインド三部作といわれているものがあります。先に読んだ「」「菩提樹の影」と、この「提婆達多」です。
どの作品も人間の欲を整った文字に落とし込む技術が存分に発揮されていて、わたしはどれもそれぞれに名作と思います。「犬」と「菩提樹の影」は創作ですが、「提婆達多」は仏教の歴史の中に存在したと言われている人物が主人公です。

 

この作家の読解力は奇跡といえるレベルで、資料提供者でもあった和辻哲郎氏が巻末で「我々に遺された最も古い手がかりによって、かくの如く活き活きとした世界の描き出されたことに感嘆する」と書いています。この感嘆を現代の感覚で言うなら「映画バーフバリのようなスペクタクル世界を文章でみごとに描いている」という感じ。
これが、大正10年に出版されていてる。どうにも信じられません。


主人公は、序盤は筋肉モリモリの光源氏といったキャラクター。モテ人生がデフォルトで、「女は容姿がすべて」とさらっと言い切るほどの信念で生きている。それが、容姿の地味な女性のよいところを探すようになったりして(←こっちのほうがまともなはずなのに)、沼におちる。

彼は最初彼女のうぶな馬鹿正直、生真面目を嘲笑しながらその容色の欠点のほうばかり気にしていた自分が、いつしか無意識に彼女の美しいところをさがしだそうとしていのに気がついた。あだかも彼女を宿命につながれた棄てることのできぬ自分のものとして、せめて出来るだけそれを高く評価して自ら慰めようとするかのように。彼は自分に対して苦々しい羞恥を感じた。
(前篇 二十八)

安定して性格の悪い人を描くときに長いモノローグを用いず、たったこれだけの文字数で書いてちゃっちゃと次へ行く。物語は濃く早く進み、どんどん連れていかれます。

 

 

この物語は「犬」同様、道徳よりも執着を優先する獣的人間の物語でもあります。
以下の部分は畜生界と人間界のはざまで限りなく畜生界に近いマインドで生きる人間の心の幅を、ものすごく短い文章で説明している文章です。

彼は他のものに食わせまいとしては己の吐いた物をも食いもどす犬であった。(前篇 十)

彼は野獣的な悪性のうちに野獣的なうぶな正直をもっていた。それは時々彼を己の意志に反してまで光明のほうに歩ませた。(後篇 四)

畜生と人間の中間を移動する心を手に取るようにわからせる。
後篇では、畜生でも光へ向かうことがある。それも動物の一面だという心が描かれます。

 

 

さて。今さらですが提婆達多(でーばだった)はシッダールタの親戚です。わかりやすくカタカナで書きましたが、本文中は悉達多(しつどはーるとは)。悉達多は世尊と呼ばれる人になっていきます。
その世尊が自分の弟子に、提婆達多に関わるなと命令する言い回しも印象的です。

思うようにさせておくがよい。愚な者に逢うてはならぬ。愚な者と事を共にしてはならぬ。また是非の議論を交えてはならぬ。愚者は自ら非法を行い、正律に反き、日に日に邪見を募らす。
(後篇 五)

ここで、マイナスはマイナスで勝手に増える。プラスもマイナスも、増えたり減ったりする。悪徳も功徳も徳であるといっているように見える。そして、のちに提婆達多の心理がこのように描かれる一文が登場します。

彼は己の嫉妬が不条理だと知れば知るほど相手が憎かった。(後篇 二十九)

ほんとうにそのように邪見を募らせる。嫉妬の部分は羨望と読みかえてもいいのかもしれません。それにしても、嫉妬する側の気持ちをこんなにとことん掘り下げる物語はなかなかありません。

 


この物語は後篇になると、別の準主役が登場します。その人は親に溺愛されたことから隙が生まれ、苦しみを抱えていく息子。この小説では伝承や経典にある物語の要素を少し変えて書かれているのですが、そんなことはどうでもいいくらい、無駄をそぎ落とした言い回しが光ります。

御覧なされ、私は決して梵天の子ではない。憐むべき一個人間の子である。私はあるがままの私を愛してほしい。見苦しき、憫笑すべき、恩愛の愚痴が縦(ほしいまま)につくりだした私の幻影を愛してほしくはない。
(後篇 十七)

あなたたちの執着が作り出す「うちの子は神的に優秀☆」という幻想を、子であるわたしに見せてくれるな見苦しい!という、両親へ向けた懇願。最後が「愛してほしくはない」という文章で終わるところがもう!

 

構成、描写、言葉の洗練。どれをとっても感嘆。
和辻哲郎氏は「もっとここを描いてほしかった!」という思いがあったようだけど、じゅうぶんじゃない? 求めすぎよー。だって「嫉妬」っていま同義語を辞書で引いても、これだというものが出てこないんだもの。
この提婆達多という物語で描かれるものは、「反応」以外の自己認識の瞬間を知らない人の苦しみ。つまりは多くの人の苦しみ。わたしはそのように読み取りました。

 

提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5)

提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5)

  • 作者:中 勘助
  • 発売日: 1985/04/16
  • メディア: 文庫

 

▼電子でも読めます

 

 

<追記>再読しました