うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

島守 中勘助 著

最初に背景も状況も説明されている。いわば出オチであるのに、先へ進むごとにその世界へ連れていかれて、あれこの人ってどういう状況の人なんだったっけと冒頭に戻る。
主人公は湖のなかの小島の番人のようなことをしている人で、ひとりで島にいる。食べ物などは里から届けられる。
わたしが若いころに働いていた山も、そこから見える山として出てくる。舞台は長野県。蕎麦を食べたりしている。とてもおいしそう。わたしはこの日記のような小説を読んで、玉菜とはキャベツであることを知りました。

この作家の文章は「銀の匙」でも独特のキッズ感があったけれど、ところどころで文学的ペンギン村がドーンと、キーンと広がる。すごい文章。
日記はこんなふうに書かれてる。

 午後。南が凪いで日がほこほことあたってきた。北風のこないまに浜へおりて米をとぐ。柳の根もとにある穴から蟹が出てきて不思議そうに見てるのでそっと指をだしたら チカ とはさんでそこそこに穴へ這い込んだ。米をとぎおわる頃にはもう風が立ってきた。洗濯をし、水をあびて帰る。

この、蟹を見たときの一瞬の楽しい緊張感。蟹の場合は、ほかの生き物とは違う。漫画ちっくだ。なぜ? の「?」を言語化するならそれは絶対に「ほよよ」であるように、このどうにも精確な「チカ」と前後のスペースがたまらない。

 


主人公は大人の男性です。小学生のロボットではありません。

 午後。うたた寐の夢を板戸をたたく啄木鳥(きつつき)に呼びさまされた。目ざましに香煎をのむ。焚きつけがなくなったので裏へいって杉の葉をひろう。じっとり土についてるのを拾って土間に投げ込むうちに山のようになった。こうして独りくらしてることが身にしみて嬉しい。
 夕。雨はやんだが晴れもしない。燈明をともしにゆく。葦の葉のひと葉もそよがず入江も淵ももの凄いほど淀んでいる。山には灰色の雲がきれぎれにまつわって小揺ぎもしない。後ろの木の梢に啄木鳥が二羽もきて競って叩くのをきくともなくききながら水の底を眺めてると葦の芽が水面へはなかなかとどきそうもないのに穂さきを天にむけ力をこめて突き出ようとしてるのを そんなに日向がいいものかしら と思う。

都会からやってきた大人の男性なのです。ここも全角スペースの使い方が最高。


夏目漱石の時代の作家の文章なのに、思いっきり今の感覚で「うまい!」と文字列の連なりにうなる。ほのぼの漫画のリズム。

ちょっとこの感じは、どうにもたまらんです。

 

 

島守

島守