わたしがよく思い出すヨーガの教え・視点に
他人の道 自分の道
他者の義務 自己の義務
というのがあります。
バガヴァッド・ギーター というインド聖典の、第3章35節と第18章47節に登場します。
「ここはだいじなとこだから、先生、二回言いますよーーー!(ちなみに先生の中の人はバガヴァーン。クリシュナですよー)」とばかりに、少し違う表現で二度登場する教えです。
わたしはこの視座に新しさを感じて、こういう表現に出会えるところが、大人になってからインド思想を学ぶ醍醐味だなと感じます。
これは過去の仕事でよくあったことですが、誰かの相談や愚痴を聞いているときに、この人はどうしたいんだろうと思うことがありました。その人が語っていることに「他人の道」「他者の義務」が多く含まれているときにそう感じます。
その人の心がなかなか見えてきません。他人を批難したいだけってことはないだろう、これは何かの前フリだろうと思って聞き続けていても、なかなか見えてこない。
その状態で励ましを求められていると感じるときに、どうすればいいのか。
この人は他人の悪口を言っているけれど、悪魔なのかと言ったら、もちろんそんなことはなくて。
そういう矛盾の谷にポツンと置かれた気持ちになったときに、足元を陰で支えてくれるのが、この提婆達多の物語です。
「他人の道」を行く以上は、どんなに有能で最前の位置にいても、永遠に二番手です。
その「他人の道」を行きながら二番手であることに耐えられないのが提婆達多(デーヴァダッタ)。
彼が悪魔かといったら、どうだろう。どう思う?
いろんな人に訊いてみたくなります。
この小説『提婆達多』は仏教の逸話に登場する人物です。
この本を初めて読んだのは2020年の緊急事態宣言後の春。再読をしたのは翌年(2021年)の終盤で、静岡市にある中勘助文学記念館へ行くまでの乗り物の中で読み終えました。
記念館には中勘助本人が所持していた昔のインドの地図が展示されていて、日本にいながら古代インドの世界へ深く入って行った作家の ”どこでもドア” が、まさにそこにあるように感じられました。
この本には、巻末に和辻哲郎氏による書評(著者へ向けた手紙)が収録されています。
冒頭はこんな呼びかけで始まります。
那珂君。
中勘助という友人に対して呼びかける、「中君」を、この小説『提婆達多』の世界と同じ読み方で当て字をしています。
シュッドーダナ王は首図駄那王と書かれ、ルビは「しゆつどほーだな」。どうしてもdhの音を省略できない著者のこだわりを受けての、尊敬に満ちたユーモアです。
* * *
わたしはこの本が家にあるのに、古本屋で見かけてその日に読みたくなってまた買ったことがありました。
そんなわけで、うちに二冊買あります。
初回・再読でそれぞれ付箋を貼った場所を見比べてみました。
そもそも仏教史のなかにある話が題材なので、ネタバレもなにもない話です。
繰り返し読んでいくことで、デーヴァダッタから距離を置くことができる。そこからが学びなんだろうなと思うスルメ本です。
この物語はブッダの描きかたにも鋭い視点が設定されていて、「ブッダは万人に対して仏であったか」と考えさせる場面があります。
ブッダは神ではなく人間で、その人間の力が、ほかの人間の心にはたらきかけた。
三度目の読書で、70代になったデーヴァダッタの思考をやっと落ち着いて読めるようになりました。老・病・死を扱う仏教の題材の、「老」の心を綺麗事抜きで、美しい文章で書かれています。
『提婆達多』は、以下で紹介したこともあります。
<わたしからのお知らせ>
次回の読書会を、この『提婆達多』で、関西で6月10日(土)に開催します。
新品はもう発行されておらず、中古か電子で入手するか図書館から借りるかになるのですが、やはり一年でも早いうちにこの本でやりたいと思いました。
ご都合の合うかたは、ぜひお付き合いいただけますと幸いです。
告知ページの作成などはこれから行います。詳細は近日お知らせということで、もうしばらくお待ちください。
(ヨガクラスのほうも、こりゃあおもしろい!!! と思っていただける構成を準備ですので、お楽しみに♪)