うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

銀の匙 中勘助 著


子供の視点の小説。「そうだ。たしかに昔、こんなふうに感じていた」ということがいくつも思い出されます。いま3歳以上の子の子育てをしている人にもおすすめ。
ものすごく甘やかされて育った子供が大人になってから書いたという設定の文章なのだけど、甘やかして育ててくれた伯母さんがとても信心深い人(仏教)で、子供ながらに「この伯母さん、信心深いな」と感じている描写が沁みる。

 縁日にはおおぜい乞食がでてお寺の塀ぎわにずらりとならぶ。それが私の行くじぶんにはまだ出そろわずにちんばや躄(いざり)などのなかで足のはやいやつが二、三人あんぺらを敷いたりしてしたくをしている。私はいつとはなしに伯母さんの感化をうけそういうものに施しをしたあとで淡いながら底深い子供の慈悲心の満足をおぼえるようになった。
(22話)


 また鉢植えの草花をかってくることもあった。寝るときになれば夜露にあててやるといって軒さきに出しておく。それらの花をみるときの子供心をなんといおうか。そののちもはや再びすることのできない清浄無垢のよろこびであった。花にそそのかされて明くる朝ははやく起き寝巻きのまままぶしい目をこすりみると、花や葉に露がちろりとたまって、ビロードのような石竹の花、髷の形した遊蝶花、金盞花などいきいきと目ざめている。
(24話)

確実に目で見た景色は子供の視線のまま描写しつつ、心のほうは「子供の慈悲心の満足」「そののちもはや再びすることのできない清浄無垢のよろこび」と回想する。ずっとこのトーンで続くのですが、ほかにも、子どもの淡い恋愛の描写に異様にキューンときたりする。ものすごく心の懐かしい部分をえぐってきます。


たいへん面倒な子供でもあって、

 八幡様の馬鹿囃子へはちっとも行こうとしなかった。それはあの鼻っぴしゃげのばかの仮面、目のとんちんかんなひょっとこの顔、まだあんまりひつっこい野鄙(やひ)な道化が胸をわるくさせたからである。けれども家の者は私の憂鬱をなおそうとしての無知な親切から、伯母さんまでがみんなの味方になってどうかしてつれだそうとする。

「無知な親切」いうとる(笑)。この主人公には兄がいて、その兄にいじめられる描写がのちに出てくるのだけど、なんとなくその理由も少しわかるようなきがする、そういう子供。
泣くときも「朝から目の奥にいっぱいたまってた涙が一時にあふれだして両足をぶらぶらさせながらわっと泣き出した。(34話)」なんていう描写があって、子供特有の、アテンションを集めることで満たされる支配欲のようなものが緻密に描かれる。


明治時代の子どもの遊びや東京の様子も興味深くて

 お稲荷さんへ行かない日にはきたない財布にお賽銭と木戸銭用の小銭を入れて牢屋の原へつれてゆく。それは有名な伝馬町の牢屋のあとで、いろんな見世物がしょっちゅうかかっていた。(6話の冒頭)


 私のような者が神田のまんなかに生まれたのは河童が砂漠で孵ったよりも不都合なことであった。近所の子はいずれも神田っ子の卵の腕白でこんないくじなしは相手にしてくれないばかりかすきさえあれば辛いめをみせる。(7章冒頭)

昔の小説を読むと、昔の子供はものすごくナマナマしいものにたくさん触れて、多くの感情の種を発芽させる機会をもっていたのではないかと思う。「河童が砂漠」なんていうたとえも、かわいらしい。ほかにも、はじめて馬を見たときに「大きな鼻のあなから棒みたいな息をつきながら」なんて描写も出てくる。この小説の前編は、かわいくて、せつない。



後編は、かなり大人っぽい。
日清戦争について学校の教室でクラスメイト&先生と話す場面(主人公はきっと戦争で負けると思っていて、嘲笑的に見ている)

彼らは次の時間にさっそく先生にいいつけて
「先生、□□さんは日本が負けるっていいます」
といった。先生はれいのしたり顔で
「日本人には大和魂がある」
といっていつものとおりシナ人のことをなんのかのと口ぎたなくののしった。それを私は自分がいわれたように腹にすえかねて
「先生、日本人に大和魂があればシナ人にはシナ魂があるでしょう。日本に加藤清正北条時宗がいればシナにだって関羽張飛がいるじゃありませんか。それに先生はいつか謙信が信玄に塩を贈った話をして敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながらなんだってそんなにシナ人の悪口ばかりいうんです」
(2話)

子供の頃のほうが、こういうことを思っていたかも。


ちょっとした描写なのだけど、凧あげで感じる「こちらがあやつられる感じ」も、懐かしく感じた。

最初糸目をおさえられてこちらの思うままになっていた凧は高くあがるにしたがいいばりだして、しまいにはひとすじの糸によって夢中に空を見あげてる揚げ手を支配しはじめる。

はじめは自分で走って風の抵抗を作ってあげた凧を見上げる感触は、子供を「食わせてきた」「育て上げた」という一本の糸で支配し続けたい親の感情とも似ているかもしれない。


いろいろな細かい勘定が引き出される文章なのだけど、すべてが主体的な心の吐露で、あてこすりがない。
子供って、残酷なんですよね。その残酷な感情を覚えておける大人のほうが、わたしは仲良くしやすい。
まえに職場の同僚の家に遊びに行ったときに、天使のようにかわいい子供と一緒に遊びながら「まだこんなに小さいのに、保育園の先生にはいい顔をして、用務員さんにはフンという表情を見せる子供を見て、こういう感情がすでにあるのことに驚く」と言っていたのを思い出した。
なかったことにしがちな感情がたくさん綴られています。この本はずっと手元に置いておきたい。


▼紙の本



Kindle版は角川文庫から出ています