2022年がはじまりましたね。本年もどうぞよろしくお願いします。
このブログも16年くらいになり、自分でもいつまで書き続けるのだろうと思いながら書いています。
さて。
わたしはこれまでに、さまざまな読者さんといろいろな場所で、このブログをきっかけにお会いしてきました。
ヨガをしている人からこれまで言われたことのなかで、ひとつ傾向としてある、こんな言葉があります。
「ブログを読んで、こんなふうに思っていいんだ、と思って」
"こんなふうに” は、それぞれの心の中のことなのでわかりません。
わたしはこのブログを書くときに、できるだけ内面を漂白しないように(サットヴァぶりっ子をしたくなるのを我慢)しています。なので、それを読んで会ってみたくなったと話してくださるかたに対しては、こちらからもいろいろ尋ねてみたくなるのだけど、訊かれても困るでしょうから訊きません(笑)。
ヨガをしているけれども君子(←「きみこ」じゃないよ)を演じないわたしのスタンスに安心する人がいるのは、わたしにとってもありがたい発見です。
この安心は、2つの視点に分けることができます。
- 自分と同じ心のはたらきを持った人間が同じこと(ヨガ)を楽しんでいる(=仲間意識)
- 無理をしていないように見える(=自分が相手に無理をさせていないと感じられる)
1はまあ、わかりやすいですよね。
近年サステナブル(サスティナブル)ということが言われるのは、社会や教育の変化で2の視点を広く持つ人が増えているからじゃないかと思います。
1も2も持たない人に会う機会は、もうだいぶ減りました。2017年くらいまでは、漠然と "ものすごい先生" を探している人が間違えてわたしのところへ情報収集にやってくる、そんなこともありました。
さて。
先ほど、「ヨガをしているけれども君子を演じない」と書きました。
しつこいようですが「きみこ」ではありません。
これは、先に2つリストした1を想定した文章です。
2を想定して書き直すと、こうなります。
以下はひとつの例で、ものの喩えです。
「ヨガをしているけれど
長男の嫁の理想形のような態度をとらないところに
ほっとする人がいる」
こんな感じでしょうか。
2には、日本的・アジア的な要素が多く入ってくる。
敬い、尽くし、察し、テキパキ働き、必要以上に目立たない。理不尽なことをユーモアで返すときにはもちろん笑顔で。
これらがワンセットになった要求の圧に潰されなそうなキャラクターに安心感を抱く人もいるようだ。というのが、ここ数年のわたしの実感です。
(こんなふうに日本語が複雑化する時点で、その面倒くささに匙を投げたくなるのが口をつぐむメカニズム!)
16年前に複数の拠点で展開する教室に所属してインストラクターの活動を始めた頃は、今とずいぶん状況が違いました。
シフトで入る場所・時間帯によっては、求められるふるまいに "架空の長男の嫁の理想形" が多く含まれていました。
感覚として「なんか東ちづるっぽい対応を求められてるな〜」というような。
(喩えの時代性については突っ込まないで!)
なので社会は少しずつ良くなっていると、わたしの視点ではそう感じます。
インターネットが普及しきった現代で、一般人が東ちづるさん的なキャラクターを憑依させ続けるのは、たいへんなことですから。
自分が生徒として習いに行っているヨガ教室で、講師に "架空の長男の嫁の理想形" をやられると、自分がそれを是認したように感じて自分で自分の首を絞めている感覚になる。そういう人って、実はもともと少なくなかったのだろうと思います。
今はその意識まで共有しながら、つながることができます。
わたしが社会の良い変化を実感するのはこんなときです。
ここ数年は地方開催のヨガクラスをできていませんが、このブログを読んでわたしと会ってくださったみなさんに、とても感謝しています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
▼コロナ以前に地方開催クラスへおいでくださったかた、海外や遠い県から東京クラスへおいでくださったかた、現在妊娠・子育て中のかたへ
あなたとわたしのお部屋をつないで、一緒にヨガの時間を過ごしませんか。
(オンラインで満月の夜にお会いしましょう)