読みながら、ここ数年で起こった、こんな時代?! と思う具体的な件がいくつか思い浮かびました。AIでよみがえった美空ひばり、恋愛リアリティー・ショーで起こる問題、メンタリストの発言、投げ銭という収益源など。
この物語は格差社会と人権・尊厳の問題が描かれているのだけど、ところどころに散りばめられた、女性の苦しい立場も理解していますと言わんばかりのエピソードが絶妙にうまくて印象に残りました。
生きていたら70歳くらいの死んだ母親の発言をもとに学習させたAIが、インテリのお爺さんの話し相手として活躍すると ”ホステスとして消費されている感覚” になる。
そういう息子の気持ちや、平日の日中にデパートの地下で買い物をする中高年の女性に対する眼差しが自然に侮蔑的で、自然に共感できる。
主人公は、リアルアバターといって、簡単にいうと100%依頼主の言いなりになる ”お使い” をする仕事をしています。その主人公がデパ地下で ”お使い” をしながら、こんなことを思っています。
デパートは、駅に直結していて、僕は地下の食品売り場で、先ほどと同じようにメロンを探した。平日の日中だが、酷く混み合っていて、大半は中高年の女性だった。
みんな、僕とは違って、自分の意思で惣菜や生鮮食品、お菓子などを求めて歩いている。—— しかし、そうなのだろうか? 確かに今、誰かに操られているわけではない。家族に事前に指示された、という人も、多くはあるまい。
けれども、日常の維持という、もっと大きな抽象的な目的が、彼女たちに命じている、と言えなくもなかった。社会そのもののリアル・アバターのように。—— その証拠に、それに従うことが出来ない時に、彼女たちに低評価を下すのは社会なのだった。
(第八章 転落 より)
主人公は自然に差別的な視点を持っていて、生活環境を得るために服従する存在をアバターのようだと感じています。
”心の持ちよう主義” なるものが登場するのもおもしろく、結果としてそれは発した人の意図とは異なっていて……という展開。途中でスピリチュアルな方向へ行くのか? と思わせるけれど、そうならない。
わたしはいちばん大切な視点がここにあるように思いながら読みました。
バーチャル・フィギュアを販売している人が
人間が他者に生命を感じ、愛着を覚えるのは、何よりもその「自律性」に於いてだ
というのは、まさに。
なんだけど、これも学習である程度は精度を上げていくことができるという前提がこの物語の半分くらいを占めています。
そして学習でたどり着けないところに「本心」があるはずと信じて、主人公は死んだ母親の心を探ろうとするのだけど、主人公に「自律性」が生まれると、母親の存在への依存心は薄れていく。
たぶんここは親離れ・子離れを描いているのだと思うのだけど、最後の章が「最愛の人の他者性」となっていて、説明的です。
このくらい明示したり説明しないと、読んだ人がわかった気になれないからそうしているのか。だとしたら読み手を信用する力が足りないような気もするけれど、読者を「社会の根深い問題に多角的に思考を巡らせている自分」という気分にさせるのが売りかたとしての作戦ならば、このくらいがいいのだろうとも思う。
想定読者像が妙に気になってしまう本でした。
(感想を別の視点でもうひとつ書きました)