うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

頭も心も資本

よく「体が資本」というフレーズとともに、近頃は高齢者向けにフレイル(フレイルサルコペニア)という言葉が使われたりして、これからヨガもますますそっち方面へ向けて訴求されたりすると思うのですが、現在進行形のわたしのリアルな感覚で思うことは、

 

 

  頭も心も資本

 

 

ということ。

わたしはよく、長い小説を読めるようになったのが2013年ごろからだったと話しているのですが、興味のない長い物語でも読了まで付き合う頭の状態を得たことは、資本になったなと思っています。

 

 

最近気づいたのですが、意識が細かくなった状態でいろいろできるようになりながら、循環させながら回復していけるのがヨガの良いところだなと、そんなふうに思うようになりました。

細かくなった視点、微細になった感覚の受け皿をヨガ以外のところに用意しておくと、仕事や社交面で役に立ちます。

会話って、ときどき暗号的なんですよね。ちょっとした比喩やリアクションに用いる単語で教養の範囲を確認しあっています。

 

 

こういうのをマウンティングと言う人もいるでしょう。

それには幼稚なものと暗号的なものがあります。暗号的なものは理解されなければマウンティングすら成立しないので、わたしはよい暗号を読解できるようになりたい。

内輪ウケの思い出を共有するのではなく、初対面の人ともその後の関係性をショートカットできる、そういう暗号読解能力を資本として増やしていきたいな、とここ数年で思うようになりました。

 

 

   *   *   *

 

 

心の資本は、体の資本感覚との関連が興味深いところです。心の資本の半分は、好意的に物事を見る対象が増えていくと増える。

頭も心も肉体の中に格納されているけれど、そこは分別知をはたらかせていきたいところ。分別知というのは、インドの言葉です。日本語オリジナルでは、この概念はありません。

ヨガが他のエクササイズと違うのはここで、体だけが資本だと思っているなら、筋トレをすればよいのです。

ヨガは、肉体、頭、心を分けてみることのできる崇高な存在がある前提です。

インドの人はこれを、アートマンやプルシャと言いました。

なにもそんなに、むずかしい話じゃあないんです。