今月の前半に神戸へ行った際に、「”自分で自分の機嫌をとる” っていうのがよくわからない」と話している人がいて、わたしもそれ思ったことあるな・・・と興味深く耳を傾けました。
他の人が「その、自分で自分の機嫌をとるっていうのは、具体的にどういうことをするの?」と質問されていて、その感じもすごく良くて。
気晴らしとか気休めだと、感覚的にわかりやすいんですけどね。
- 気晴らし:タマスを溶かして燃やす
- 気休め:ラジャスとタマスのコンボを抑える
この2つはわかりやすく感じます。
だけど「機嫌をとる」となると複雑に感じる。
「溶かして燃やす」でも「抑える」でもなく、
急に外部の人が出てきたような感じがする。
自分の心の状態を客体化するフレーズとして便利なのでしょう。
この「自分で自分の機嫌をとる」が、以下のどちらかなのだとしたら、、、
- 子供をあやすように機嫌をとる(欲しいものを与える)
- 他人に機嫌をとらせようとしない(かまってちゃんにならない)
大人の幼児性を開放する場がなくなって、しんどくなってるってことかな。
わたしは「ちょっと気晴らしに付き合ってくんない?」「気休めでいいからなぐさめて~」と身近な人を巻き込める人を粋だなと思うことがあるので、「自分で自分の機嫌をとる」と聞くと、な~に気取ってやがんでい!(急に江戸っ子)となります。
言葉の流行って、おもしろいよね。
上品な表現でコーティングしても、江戸っ子にはバレてる w
#もとは雪国っ子のくせに江戸っ子ぶって書きました。「江戸っ子」はイメージです。