読み書きとともに「発音」にフォーカスするようになってから、なかなかその確認練習へ行けていなかったのですが、ゴールデン・ウィークにインドで練習をして以後、マントラやシュローカを唱えています。いつもだいたい15種類前後、すべて1回ずつ唱えるのでも8分半くらいかかります。
毎朝やると、その日の喉や口の乾燥ぐあい、粘液のありよう、声門周辺の筋力が違うのがわかります。朝一発目から低音がうまく出ると、ダンディなおじさまに転生したかと思うほどびっくりします。グラデーションのサングラスをかけたくなる。そういう瞬間がたまにあります。
母音が「あ」の低音は冒頭で出しやすくても、母音が「お」だとめちゃくちゃ難しい。同じ母音が「お」同士でも、「と」よりも「よ」のほうが出しにくいというふうに、まるで料理の調味料の掛けあわせのような発見があります。
あとは早口言葉みたいに、言えた言えないの箇所が毎回変わります。一瞬違うことを考えて間違えたり、逆になにかひらめいたり。
この感じは、以前ジョギングのあとに書いた以下の感じとも似ています。
マントラを唱えている最中にも、瞑想状態があります。力んでいないのに集中できている状態というのがある。
いくつかのマントラに発音のむずかしい山場があって、そこに慣れていく過程は三点倒立の練習で成功率が上がっていって、そこから複雑なこともできるようになるプロセスと似ています。
メンタル面での効用面としては、『シヴァ・サンヒター』第5章16~18節にある以下の要素について、たしかにそうであるなと感じます。
熱意がない、無知、病弱、グルをみくびる、欲深い、罪深い、大食い、女性に寄りかかっている、気まぐれ、おびえる、病気、他人頼り、冷酷、行いが悪い、力を出そうとしない
わたしはたまに「よし、こっちでいこう!」という決断を促してくれるような、そういう効用を感じます。
ヨガの練習にはアーサナや呼吸法だけでなく瞑想、浄化法、マントラ、聖典の読誦などさまざまな練習がありますが、少しずつ学んでいければと思い、昨年からこのようにしています。単純に頭がすっきりします。
いつかスキャットマン・ジョンのようにパッパッパラッパラパラパな勢いで言えるようになりたいなと思っています。いまはまだドリフの早口言葉まで行ってないくらい。(ヤングにはどっちもわからんよね。いつもごめんね)
補足:それぞれの元の語
今日の引用部分は以下の本から日本語にしてます。
- mandotsAha 熱意がない
- sammUDha 無知
- vyAdhi 病弱
- gurudUSaka(guru + dUSaka)グルをみくびる
- lobha 欲深い
- pApamati(pApam + ati)罪深い
- bahvAdin 大食い
- vanitAzraya(vanita + Azraya)女性に寄りかかっている
- capala 気まぐれ
- kAtara おびえる
- roga 病気
- parAdhIna 他人頼り
- niSThura 冷酷
- mandAcAra 行いが悪い
- mandavIrya(manda + vIrya)力を出そうとしない