ヨガの練習中に起こる気持ちのひとつに、こんなものがあります。
「ここでえいっとやったら、なんとかなるんじゃないか」
こんな思考のトラップが起こりやすいバランスポーズの最中に
わたしはこう言います。
「やっつけたい気持ちを抑えて」
これは言うと逆効果になる人には出さないフレーズであり、なにがわたしの役割かって、その判断。
体重の意識のポイントを変える、目線を少し遠くに移動させる、呼吸を長くする瞬間を意識するなど、そのポーズ×人の数だけ乗り越えかたのバリエーションはありますが、やっつけたい気持ちを抑えることは、執着を正しく分散しなおす作業です。
「やっつけたい気持ち」は「ジレンマ」
「やっつけたい気持ち」は、いうなれば「ジレンマ」です。
日本語で「葛藤」という訳語を選ぶと急に演歌っぽく大げさになるけれど、わたしがいま取りあげているのはもうちょっと日常に近い、"未知の感覚を受け入れる瞬間のざわめき" くらいのものです。葛藤よりも「戸惑い」とか「動揺」に近いもの。それをトライ&エラーで乗り越えていく。
転職、引越し、人生の転機。それに伴なう関係の変化。自分の日常に新しいことが浸透していくプロセスと、さまざまなアーサナに身体がなじんでいくプロセスはよく似ています。
「ジレンマ」の瞬間を客観視する練習
わたしはアーサナの練習を、この瞬間に慣れる練習だと思っています。
バランス・ポーズの練習中に起こる、"えいやっとやっつけてしまいたくなる気持ち" は、楽しむ回路がアクティブでない場合、楽しむことよりも獲得意欲が優位になりすぎた場合、そして必要なプロセスを経ていない場合に、ケガにつながりやすくなります。
どんなに慎重にやっていても必要なときにブレーキが発動しない状況というのは、あるんですよね…。慎重さにつられて頭が優位になってしまう。
なので身体由来のジレンマというのがあるということをまず知る。体内世界の中で、たったひとりの世界の中でも「やっつけたい気持ち」が発動するのだということを知っておくと、日常のほかの瞬間でも、どさくさに紛れて他人や外部環境を批判しようとする思考に「うわー」となるようになる。
「ここでえいっとやったら、なんとかなるんじゃないか」
って、ちょっとドリーミーでかわいい衝動です。
でもだいたい、バランスポーズの練習のときは、なんとかならずにコケます。
「やっぱり、だめだったかぁ~」となる。
いいんです。こういう小さな失敗をアーサナの練習のほうで済ませておいて、日常でやらかしてしまうぶんを減らせるといいなと思っています。そもそもトライしている時点で、じゅうぶん前に進んでる。「やっぱり、だめだったかぁ~」の "やっぱり" はトライしなければ得られない感覚です。
バランスはとるのではなく、見つけるもの。なのでわたしがサポートできるのは、その探しものの途中で合いの手を入れるくらいのことでしかないのですが、その合いの手が「いよっ↑」じゃなくて「抑えて↓」のときもある。
瞑想には観察力が必要になるので、それ以前に「やっつけたい気持ち」の存在を知っておきましょうと、そういうわけなのです。