昨年出版された日本語版の『ヨーガ・ヴァーシシュタ』を今年も引き続き読んでいます。第3章はおもしろストーリーがてんこ盛りなので、各寓話にある要素をちょこっと紹介します。
前回は「リーラーの物語」について書きました。今回はその次に収められている「カールカティーの物語」です。
わたしはこの物語が大好きで、主人公のカールカティーが最高すぎます。
カールカティーは山に住む大食の人喰い鬼女で、人間を食うことで心を痛め、苦行をします。もうここまでで、すでに話の展開がだいぶおかしいですよね。食っといてなんだよ、というはじまり。
西遊記に出てくる人喰い妖怪は苦行をしませんが(三蔵法師のありがたいお経で改心に至る)、ヨーガ・ヴァーシシュタに出てくる鬼女はヒマラヤで苦行をします。このあたりが、いかにもインド。自分で苦行をはじめます。
その苦行をブラフマー神が認めて望みを叶えようとしてくれるのですが、そこでカールカティーの出す要求が最高です。
極小になって、病の化身になって、
生き物をいっぱい食べたい
空腹を満たしたい
自分の身体が大きかったから人間をまるっとたくさん食べることになって心を痛めて苦しんだけれど、自分自身が小さくなればひとりの人間からたくさん食物を得られると。
どんな展開だよ・・・と、わたしの心はどんどん真我の探求から遠ざかっていくわけですが、さらにすごいのが、彼女の望みを受け入れるブラフマー神です。
そのセリフが、こちら。
よろしい。あなたは生きた針金(病の化身)スーチカーになるだろう。
それと同時に、あなたはヴィシューチカー(コレラ菌)にもなる。あなたは微生物となり、誤った食べ物を食べ、誤った生活にふける者たちのハートに入って苦痛を与えることだろう。
(68)
え? ちょっとブラフマー神、有能すぎない? これでWin-Winってわけ?
両方とも頭が良すぎて、背骨を正して読まないとついていけません。
そしてここからが、さらにすごいというか、おもしろくなります。
彼女は極小の身体を得て食べ放題の日々を送ることができるのだけど、それはそれで、また自分の欲に幻滅しはじめます。
もうこのへんまで来ると、甘いのの後にしょっぱいもの、そしてまた甘いもの・・・とお菓子を食べることをやめられない乙女を見ているようで、カールカティーにただならぬ親近感がわいてきます。
(あくまで個人の感想です)
そこで彼女は気づきます。身体が苦しみの原因であると。
やっと王道のヨーガっぽくなってきた!
そして、どうするか。
ヒマラヤへ行き、片足で立ったまま苦行を始めた。
(69)
やっぱり苦行する。タパス Season2 のはじまりです。
ちなみに彼女、前回の苦行はなんと一千年やってます。一千日ではなく、年です。いまの感覚で言えば、「平安時代からずっと修行してました、コンニチワ〜」みたいな単位。とことんです。
そしてこの二度目の苦行で、完全に浄化されます。(さりげなく、「この時は」という書き方をされている一文があるのですが)
これを聖者や神々が見て、ブラフマー神に「彼女はすごいよ、彼女、頑張ってるよ」と伝えるわけなんですね。
そしてその苦行が認められ
自然な空腹を満たすだけの、啓蒙された人生を生きるだろう。
(70)
というブラフマー神の言葉を受け、もとの巨大な身体に戻りましたとさ。
めでたしめでたし
ではない! ぜんぜん。
ここまでで、まだ物語の半分くらいです。
え~! いい感じで、いまめっちゃ感動してたのに~。てとこで終わらない。
まだ終わらないの!
ここまで読んでわかるとおり、カールカティーは考えが極端です。
この物語の重要なところは、彼女の性格です。
ブラフマー神がおっしゃった「自然な空腹を満たす」というのが理解できません。
いったい何を食べよう? 自分の生命を維持するために他の生命を破壊するのは賢者から禁じられている。だから何も食べずにこの身体を放棄すべきだ。そうすることには何の害もない。私のように光明を得た者にとって、生と死に違いなどないのだから。
(70)
カールカティーはもうカウンセリングに行ったほうがいいんじゃないかと思うのだけど、この世界ではそういうのはありません。
天からの声が聞こえてきます。で、どうなるか。
ここから後半です。なんとここまでが前半でした
ヨーガ・ヴァーシシュタって、第1章・第2章からしてそうだったのですが、「病院へ行ったほうがいいんじゃないか」というところまでの精神をめちゃくちゃしっかり描くんですよね……。
このカールカティーの物語は、苦行を二度経て、やっと後半です。
こんなことならもう死んでも生きても同じじゃないか、とか思いはじめちゃう。そこへ、天からの声が聞こえてきます。
以下が、その天からの声です。
カールカティーよ。無知な者や混乱した者のもとへ行き、彼らを目覚めさせなさい。実に、ただそれだけが、光明を得た人にとっての使命なのだ。あなたが啓蒙しようとした者たちの中で、真理に目覚めることのできなかった者こそ、あなたに食べられるにふさわしい。そのような無知な者どもを食べても罪にならないのだ。
(70)
この発言主がブラフマー神ではなく「天からの声」で、特定の神になっていないところが巧妙だなと思うのですが、罪にならない展開を説くところは、バガヴァッド・ギーターの第18章47節を想起させます。
ここは日本語訳によってハマりかたが揺れると思うので、いくつかの訳を紹介します。
自己の任務を実行することは、それが不完全であっても、他人の任務をうまく実行するよりも優れている。自己の本性によって定められた行動は罪にならない。
(熊澤教眞 訳)
他者の職業を完全に行うよりも、自分の職業を不完全に行う方が優れている。生来の性質に応じて規定された義務は決して罪も報いの影響を受けない。
(A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ)
自分の義務が完全にできなくても
他人の義務を完全に行うより善い
天性によって定められた仕事をしていれば
人は罪を犯さないでいられる
(田中嫺玉 訳)
罪を犯さずにいられる方法として、「自己の本性によって定められた行動」「生来の性質に応じて規定された義務」「天性によって定められた仕事」があるのですが、カールカティーの場合はどうでしょうか。
もともとは食欲の鬼であったのが、完全に浄化されて、いまは二度目の苦行で立派なヨーギニーとして認められ、もとの巨大な身体になっています。
カールカティーはこの声に従って、山から森へ下りて行きます。
そこで、狩猟族の王と大臣に出会います。
彼らとの会話が、とにかく最高です。
(71)はこのようにはじまります。
鬼女カールカティーは、王と大臣の叡知を見定めようとして、吼えるように言った。
やあ、この森をうろつき回る二匹の虫けらども! お前たちはいったい何者だ? 今すぐ答えなければ食ってしまうぞ!
ちょっ、カールカティー姐さん、はりきりすぎですやん。もうこれ完全に反社の人じゃないですか。
さっきまで長与千種みたいだったのに、またダンプ松本に戻ってますやん。
さて。すばらしいのは、ここからです!
(続きの引用です)ダンプ松本になっちゃったあとです。
この、脅された王と大臣がすごい。
王と大臣は彼女の恐ろしい姿を目にしながらも、まったく動じなかった。
大臣は言った。
鬼女よ。何をそのように怒っているのか? すべての生き物にとって食べ物を探すのは自然なことだ。自然な務めを果たすからといって、機嫌を損ねる必要はなかろう。
(中略)
私たちは何千ものお前のような虫けらに出会い、相応に処分してきた。なぜなら、邪悪な者を制し、善良な者を守ることが王の義務だからだ。
こちらにはこちらの義務があると、こうくるわけです。
で、どうなるか。
なんと、叡知を試すクイズ合戦がはじまります。
ここからがメイン・イベント! って感じで、このクイズ問答を通して読者も学ぶことになるのだけど、そこでもカールカティーがちょっとやらかしています。(問いの中に答えのキーワードを入れてしまったりしてる)
そして、それに丁寧に王様と大臣が答えていくのですが、ここからはもう涙なしには読めません。
この長い長い「カールカティーの物語」は、前半は自分の欲への向き合いかたで苦しむ様子がおかしくて、かわいくて、痛い。痛すぎる。
そして後半は後半で、極端な思考パターンから抜けられないところで役割を得て張り切っちゃう。ああ、彼女がせつない。なにこの話!
極端な思考に陥るパターンの見せかたが秀逸です。
そんなこんなで、わたしはこの話が大好きです。今日はちょっとアツくなってしまいました。数々の取り乱しをお許しください。