うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

神の詩 バガヴァッド・ギーター 田中嫺玉 著


まるで「フランダースの犬」を見ているかのような気分になる訳。これは手元においておきたくなる。
我が家にはここで紹介したことのある「上村勝彦訳版」「バラモン教典の収録版」のほかに、バクティヴェーダーンタ版など5冊のギーターがあるのですが、この訳には何度もうっとりし、しびれた節は他のバージョンと読み比べながら堪能しました。


読みながら、こんなことを思いました。
ギーターの編者(ヴィヤーサ)は、さまざまな神を崇拝するヒンドゥーの各派やサーンキヤヴェーダーンタミーマーンサーなどの六派哲学、異端のジャイナ教や仏教の人たちの間で小競り合いが起きて雰囲気が悪くなっても、「ギーター」を参照すれば仲良くなれるように、そんな気持ちで編集したのではないかと。
もともと、いろんな教派の理論をまろやかにおさえているなぁという感じで読んでいたけど、本文にカピラとヴェーダーンタ経への敬意が含まれており、サーンキヤヴェーダーンタも仲良くヨーガしてくださいね。といった風情。そういうやさしさのようなものを想像させてくれる訳です。どさくさにまぎれて15章15節でヴェーダーンタの編集者宣言をしてたのねクリシュナおじさん! ということをいまさら発見したり。



女性ならではのアレンジがたまらない箇所もあります。11章44節で、上村勝彦氏が「恋人が愛しい女に対するように」とし、B・ヴェーダーンタ版では「妻が夫の無遠慮をゆるすように」としているところを「妻が夫の浮気をゆるすように」とされていたり。


そしてなにより、このバージョンの訳で読むと、特にわたしがよく「クリシュナが脱がされる」といっている11章に至る部分が



 アルジュナ=銀座No.1ホステス
 クリシュナ=歌舞伎町No.1ホスト



の対決のよう。
で。あきらかにアルジュナが大差で勝っています(笑)。クリシュナを掌で転がしまくりです。
筆談ホステスを超えんばかりのトークは、10章18節で炸裂します。

クリシュナよ もう一度詳しくお話し下さい
あなたの神秘な御力と顕現(あらわれ)について
どんなに聞いても私は飽きない
聞けば聞く程もっとその甘露(アムリタ)を味わいたくなるのです

このあとのクリシュナおじたんの俺様リサイタルっぷりたるや、もう(笑)。なん十曲歌うつもりなのよと。ひとり紅白ですよ。
アルジュナ姐さん、さすがだわ〜。浜村淳かと思ったわ〜。



で、11章でクリシュナおじたんは「なにもそこまで」というほど「どんだけ俺様が神々しいか」という姿をアルジュナに見せまくります。この部分はわたしがよく「小林幸子」と言っている場面なのですが、このあとの訳が、ナレーションのようなポジショニングになっていておもしろい!

【11章13節】
その時 その場でアルジュナは見たのです
神々のなかの神 至上主の普遍相のなかに
無数の宇宙が展開して
千種万態の世界が活在しているのを ──

パトラッシュ。僕は見たんだよ。
一番見たかったルーベンスの2枚の絵を……


ああ神々しい。




ホステス度が高くなるぶん、上村勝彦訳版で雰囲気の出ていたアルジュナの「クレーマー紙一重の指示待ち族」っぷりは控えめなムードになるのだけど、やっぱりやることはやってる。

【3章2節】
あなたが曖昧な言い方をなさるので
私の心は 戸惑っている
どれが私にとって最善の道なのか
何とぞ明確に示して下さい

まあここで「自分で考えろ」というと、この話終わっちゃうんでね。語調はキャッチーだけど生産性のない指示のもと、空気を読んで動かなければいけない日本の企業に入ったらやっていけなさそうなアルジュナさん。



【5章1節】
はじめにあなたは仕事(カルマ)を離れよと言い
次には奉仕の精神で活動せよと勧める
どちらが本当に尊く また有益なのか
いまここで明確にお示し下さい

「経験と知識のなさ」の表現のかたちのひとつだと思うのですが、なんか労働組合とか作り出しそうな勢いのアルジュナさん。
まあでもそのまえに2章で「人殺しをしろ」って恐喝されてるからね。無理もない。ユーはほんとにいろんな役を、よくやっているよね。君こそがグローバル人材だ!




ほかにも、ここは素敵な訳だわ! と思うところがたくさんあり、なかでも「ダルマ」を都度「宗教」「正法」「戒律」のように適所に合わせて漢字を選んでいるところや、7章11節の「カーマ」にあてた「情欲」というチョイスもよかった(上村氏=欲望、B・ヴェーダーンタ=性生活。性生活って!)
2章56節で、のちにサーンキヤの三苦の思想と言われるものを「三重の逆境」と訳されているのもシビれます。




このバージョンの訳から新たに想起させられることも多くて、3章5節なんかは

好むと好まざるとにかかわらず
物質自然(プラクリティ)の性質(グナ)から来る推進力で
ただの一瞬といえども
活動せずにはいられないのだ

ってこれ、プラクリティとプルシャの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損♪?!」な雰囲気がよくでてる。




クリシュナが導いてくれる「対人リスクへの配慮」も、この節でこんなこと教えてくれてたっけ! と思うものが多かったです。

【3章26節】
果報に執着して行動する愚者たちの心を
賢明な人は かき乱してはいけない
彼らが奉仕の精神で仕事をするように
だんだんと導き 励ましていくことだ

後半は読み取れていたけど、前半も、たしかに! 盛り上がってるところに水を差すような真実の言葉は、言っちゃいかんのよねぃ。



【3章29節】
物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)に目をくらまされて
世俗の人は物質的活動に執着する
それが知識欠乏に原因すると知っても
賢明な人は彼らの心を不安にしてはいけない

このあと、野口晴哉サーンキヤな節が出ますよ!



【3章33節】
智識ある人でも
生まれつきの性格によって行動する
人は誰でも自然生得の傾向に従う
これに逆らっても無益である

自分でも抗えないものを、人の注意で治せるかいな、と。



【18章67節】
禁欲や修行をしない者
信仰心なく 真理を学ぶ心のない者
また わたしに反感をもっている者には
この秘密の知識を話してはいけない

この後半2行が、実はすごく大切な句ではないかと最近思うようになりました。
バガヴァッド・ギーターは骨子を抜き出すとわざわざアルジュナファシリテーションをさせなくても、修行論としてなんかのスートラでもいいわけなのに、マハーバーラタという大河ドラマの脚本みたいなののなかにある。
戦争物語の中に織り交ぜることによって、特定の教派を想起させずにリスクを伝授しようとしたのではないかしら、と深読みしてみたり。夏目漱石草枕で描いた「屁の勘定」と同じ示唆を感じずにいられない。漱石もヴィヤーサと同じように、小説(特に「こころ」)の中にこういう要素を盛り込んでいたように思う。



ほかにもしびれる訳ばかりなのだけど、最後にひとつだけ、特選。

【14章6節】
罪なき者よ サットワは他に比べると
清らかで光り輝き 健康的であるが
幸福を求め知識に憧れるということで
肉体をまとった魂を束縛する

束縛について語るという軸からサットワを治外法権にしない正確さと、このやさしさのバランス。




もっと書きたい句はたくさんあるのだけど、このへんにしておきますね。といいつつ、つぶやかせて。

わたしは「クリシュナ=覇権欲」「アルジュナ=承認欲」の象徴でもあると思っていて、このふたりの会話が「カルト教団の作り方」や「ブラック企業の作り方」のマニュアルにもなりえてしまうところが奥深いと思っています。ただ崇めるだけではない、どんな時代も自分で感じ、考えながら生きていくためにヴィヤーサが残してくれた秘密の暗号のような、そんなふうに感じています。


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