うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

幸福について ―人生論― アルトゥール・ショーペンハウアー著/橋本文夫(翻訳)

昨年『正しい答えのない世界を生きるための 「死」の文学入門』を読んで気になり、この『幸福について』を読みました。
昨年一度読んで胃もたれしたあと、もう一度ハイライト部分(Kindleで読む時にマークする付箋のようなもの)の前後を読みました。

前半は運動感覚で哲学を語る流れが馴染みやすく、そこから人格・人徳を説く部分はまるで孔子のよう。しかも、これがどうにも脂っぽい。
なにこのオモシロおじさん! と思いながら読みました。

 

幸福には、これが一番大事ですって。
第二章「人のあり方について」でこのように語られています。

主観的な財宝、例えば優れた性格と有能な頭脳と楽天的な気質と明朗な心と健康そのもののような頑丈な体格、要するに健全な身体に宿る健全な精神が、われわれ幸福のためには第一の最も重要な財宝である。

 さてこういった種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。なぜかといえば、このような長所は他の何ものを待つまでもなく、この長所そのものによって報いられるからだ。陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。

このあと「陽に当たれ! 運動しろ!」という具体的な話に入っていきます。
いいぞいいぞー!

 

精神面もマッチョな内容で「名誉欲に囚われてりゃ、そりゃつらいに決まってる」くらいの勢い。この時代は女性の生きかたが男性の付属物なので、メッセージの対象は100%男性向けなのだけど、この本の中で "それは東洋にはないものだ" とされている「騎士的名誉」の記述はとても興味深い内容でした。

男子たるものの名誉は、その能動的におこなうとこに基づくのではなく、その受動的にこうむるところ、その遭遇するところのものに基づいている。
(第四章 人の与える印象について より)

これは “扱われかた” ということだと思うのですが、貴族社会ならではの人間関係の苦しみも背後にあり、一筋縄ではいかない感じ。
エリートや高学歴の人が起こす事件を紐解くときに、その苦しみを探るヒントになりそうなテキストです。

 


そして後半は期待通りにどんどんインドっぽくなってきます。
なんでインド? というかたは「ウプネカット」で検索してください。「第五章 訓話と金言」のなかから、ヨーガ的なものをいくつか紹介します。

朝は人生のエキスと心得て、いわばこれを神聖視すべきである。

朝型推奨おじさん!

 

印象をそれと反対の印象によって中和させるのが、いちばんの上策である。

これだけ抜き出すと思いっきりパタンジャリ(参考)ですが、そのあとがおもしろい。貶されたら褒めてくれる人のところへ行けとおっしゃってます(笑)。瞑想でそれをするのではなく、褒めてくれる人のところへ行けと。子供か!

 

消化作用の間は脳を休息させるがよい。脳のなかで観念をつくりあげるその同じ活力が、消化作用の間は糜汁(びじゅう)と乳糜をつくるために胃や腸のなかで一生懸命に働いているからだ。また筋肉を大いに働かせている間はもちろん、そのあとでも脳に休息を与えるがよい。なぜかというに、運動神経は感覚神経と同じような性質のもので、負傷した手足に感ずる痛みが本当は脳のなかに座を占めているのと同じ理由で、歩いたり仕事をしたりするのも本当は脚や腕ではなく、脳だからである。

みなさーん、ヨーガ・ニードラーの重要性、ボディスキャンの意義を、これでわかっていただけましたかー!

 

とりわけ脳にはその思索に必要な程度の睡眠を与えるがよい。睡眠の人間に対する意義は、時計ならばぜんまいを巻くようなものだからである。

ねぇねぇ。ちょっと、聞いてる? ヨーガ・ニードラーの重要性の話よー!

 

対人関係の問題と対処法はいかにも貴族社会って感じなので、真に受けないほうがよいものも多いです。

でも健康法はガチです(笑)。
おもろいよー。