このブログを読んでくださっているかたとお会いして会話をすると、「専門的な本、むずかしそうな本が読めないんです」とか「ライフスタイルや自己啓発っぽい本は読むのだけど、小説は読めなくて」と言われて、各自にモードがあるみたい。
先日わたしはその話題で「そういうときには、子供向けの本を読んでいます」と話しました。
まとまった奥行きのある情報を入れられないときの気持ちは、胃の存在が感じられないときと似ています。意識のなかの胃に該当するところが、うまく反応できない感じ。
それは日常で抱えているタスクの性質やその種類・構成、ややこしさによっても変わるものです。
過去に何度か書いていますが、わたしは特定の作家以外の小説を読めるようになったのが30代の後半になってからで、具体的には江戸川乱歩や星新一のように、型に慣れていて子供の頃から知っている作家の作品以外は、どれも「摂っても摂らなくてもいいもの」でした。
初めて読む作家の本を読む行為は、そもそも味も量も食べ方もそれに合う気分がわかりません。エッセイや流行の自己啓発本は「多くの人が食べているのだからたべられるだろう」という感じで読めたものもありましたが、味を感じないものもありました。
朝から重いものは無理だったり、人前に出る仕事だからニンニクは避けたり、そういうことと同じように、人は本を選んでいるのだと思います。
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とはいえ。とはいえです。
情報の性質としては、栄養として、良質のものを摂るのがよいことは明白です。
ヨガを長く続けていくうちにそのルーツに関心を抱くのは、わたしは良質な深めかたと思います。「専門的な本が読めないんです」という人にも、楽しみながらその気持ちを持ち続けて欲しいと思っています。
そんな流れからの、おすすめ本があります。
こちらです。
ひとたび開いて見たならば、すぐに納得いただけるはず。
表紙の絵は派手な色使いですが、中の絵はギンギンギラギラではなく、やさしい色使いです。
クリシュナの物語が、クリシュナの存在感が、クリシュナの豪快っぷりが、クリシュナのモテモテっぷりが、視覚から感覚的に心に入ってきます。しかも、物語を抜きにしても絵が最高です。
笛を吹いたり、ペーターのように牛や羊を連れて歩いていたり、ビートルズがドアから出てきた時みたいに女性たちからぎゃーっと愛されていたり、小指一本で山をツンと持ち上げていたり、室伏選手のように円盤(チャクラ)を投げてスパーッと敵をスライスしたり、
そういう
クリシュナの強さ
のいろんな面が、神々しく入ってきます。
なかでも前半にある、クリシュナが雷と暴風雨の中で生まれる場面の絵は、文章がなくてもその様子が全て伝わってくるほど。文字がなくても内容が読めます。