うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

新版・放浪記 林芙美子 著

新版・放浪記を読みました。以下の第一部~第三部まですべて一冊になったものです。

  • 放浪記(初出):現在の第一部
  • 続・放浪記:現在の第二部
  • 新版・放浪記:検閲でカットされた分。現在の第三部

放浪記は現在の第三部まで読むとよくわかるのですが、第三部には、当時こんなこと書いたらそりゃカットされるわな…というほどのことが書いてあります。天皇の人格を庶民がどう見ていたかの記述もあります。
もともと日記を再編集して出版されたものらしく、年の順番はバラバラ。なので、売れて作家になった時のことが最後に書かれているわけではありません。新版で読むとそこがクライマックスになっていません。(「続・放浪記」のラストが作家になる時期)


今の感覚で読むと第一部のほうがカットされそうな記述が多く、時代の流れを感じます。男性が日常的に女性に暴力をふるい、十七歳の女の子は中年男性にとって、じゃあOKだなヤらせろ、の対象。中年男性というのは感覚的に20代終盤からで、谷崎潤一郎の「痴人の愛」を思い出しました。ものすごくロリコンのおじさんの話かと思っていたら、男性がまだ20代終盤で驚いたあの小説とまさに同じ感じです。

この時代はまだ50代で亡くなる人も少なくなかった。となれば、そうなるのか…と思いながら読みました。

花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。ああいやな事だ。(九月×日)

こんなふうにつぶやく時代です。
それにしても昭和って、そんなに昔の話? わたし昭和生まれなんだけど。

放浪記には大正天皇についての言及もあるので、昭和って長い時代だったのね…とあらためて思いました。


放浪記は20代半ばまでの日記を元にした記録ですが、今の感覚で言ったら30代後半でも40代でもおかしくない心理描写がたくさんあります。林芙美子さんという人はほんとうに自身のエゴの性質分解が細かい。全くあてこすらないんですよね…。自分がこんな風に考えるから、こういう性質を持ってこう感じるから、だからこんなにみじめなのだと語ります。一貫して見えてくるのは、知り合って親しくなった人に対して意味不明の嫉妬をしないので、友人が多いこと。
放浪記は涙なしに読めない部分がいくつかあるのですが、そのほとんどが女性同士のやり取りのなかにあります。お夏さんという京都に住む学友との交流の話も、時ちゃんというパパ活に活路を見出そうとうとする女性の話もとてもせつない。お君さんはきっとリラの女。
「新版・放浪記」は同作家の短編を先に読んでおくと、その元ネタが見つける楽しみがあります。とくに『「リラ」の女達』『風琴と魚の町』を読んでおくと、じーんとくる日記がいくつもあります。わたしはどちらの作品も好きなので、読みながら何度もうわーん!と涙腺が決壊しました。
舞台ででんぐりがえしの表現をされていたらしい「原稿料が入る場面」も、たぶんここだなというのがわかります。そこも、その直前に仲間のエグいパパ活エピソードがあるからこそ、感動がはじける。もし原稿料が一日でも先に入っていたら、友人のそれを確実にやめさせられたのに!!! という前振りと悔しさがあるから、この上なく苦しくてはじける。

 


この小説を読むと、まるでトレンディ・ドラマのようにそこに登場したものを食べたくなったり読みたくなったりするのも楽しみのひとつです。新潟県直江津も登場し「継続だんご」の話が出てきます。もうこれは絶対に次回は食べねばと思いました。

わたしがもしリアルタイムで読んでいたら、以下も絶対試したくなっただろうと思います。

渋谷の百軒店のウーロン茶をのませる家で、詩の展覧会なり。(十月×日)

寒いのでミルクホールにはいる。(十二月×日)

今の感覚で言うとタピオカやスターバックスのような感じでしょうか。冬に小諸の旧北国街道を歩いて、ミルクホール(旧銀座会館)というモダンな建物を見かけたばかりです。


このようにとても親近感のわきやすい作家・林芙美子さんですが、苦労のなかでもずっと古典や名作を読み続け、文学に鋭くアンテナを張っています。ひとりで爪を研ぎ続けていたからこその成功だというのがよくわかります。タゴールまで暗唱されていてびっくりしました。ここからは、わたしが気になった部分特集です。

 

インドとバナナとタゴール

福神漬屋の酒悦の前は黒山のような人だかり。インド人がバナナのたたきうりをしている。
(五月×日)

夜、龍之介の「戯作三昧」を読んだ。魔術、これはお伽噺のようにセンチメンタルなものだった。印度人と魔術、日本の竹藪と雨の夜か……。
(三月×日)

――さいやんかね、だっさ、さいやんかねえ、おんだぶってぶって、おんだ、らったんだりらああおお……タゴールの詩だそうだけれど、意味も判らずに、折にふれては私はつまらない時に唄う。
(九月×日)

もう、これが最後で、本当にお別れだと思う。何処からか味噌汁の匂いがする。むらさきのさむるも夢のゆくえかな。誰かの句をふっと思い出した。何となく、外国へ行ってみたくなる。インドのような暑い国へ行ってみたいのだ。タゴールと云う詩人もインドのひとだそうだ。
 野村さんは、通いにして、また一緒に住めばいいと云ってくれたのだけれど、私は心のなかにそんな気のない事をはっきりと自覚している。私は殴られる相手として薄馬鹿な顔をしているのは沢山だ。楽天家ぶっているのには閉口。あなたが、殴りさえしなければ戻って来たいのよと嘘を云う。
(二月×日)

タゴールの詩はベンガル語かな。林芙美子さんには、つまらないときに唄うと気分が持ち直す音を知っている語感があったのだろうか。
ちなみにDV男の野村さんは次のDV特集に登場します。龍之介の「魔術」というのはこれです。

 

 

世田谷区でDVを受けた時代

――泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私達の長屋だろう。兵営の屍室と墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。
(六月×日)

待ちぼけを食ったと怒ってしまった夫は、私の背をはげしく突き飛ばすと閉ざした家へはいってしまった。又おこっている。私は泥棒猫のように台所から部屋へはいると、夫はいきなり束子や茶碗を私の胸に投げつけて来た。ああ、この剽軽(ひょうきん)な粗忽(そこつ)者をそんなにも貴方は憎いと云うのですか……私は井戸端に立って蒼い雲を見ていた。
(六月×日)

「じゃア、帰ります。またそのうち来ます」と云うと、あのひとはそばにあったナイフを私に放りつける。小さいナイフは畳に突きささった。私はああと心のなかに溜息が出る。まだこのひとは、この厭な癖が抜けないのだ。瀬田の家でも、私は幾度かナイフを投げつけられた。このまま立ちあがると、野村さんは私の躯を足で突き飛ばすに違いないので身動きもならない。寒々とした雨もよいの空がぼんやり眼にうつる。
(二月×日)

この本に「世田谷」の文字列はひとつも出てこないのですが、土地勘があると太子堂や瀬田の地名ですぐにわかります。わたしはまさにこの2箇所の中間地点で似た経験をしたので、異様に嬉しくなりました。は、林さんっ、わたしもよーーーっ!!! っと手をあげたくなる。ちなみに林芙美子さんの友人の飯田さんは男から鏝(コテ)で殴られたりインキ壺を投げつけられたりしていて、「放浪記」はとにかくいろんなDV話がしれっと出てきます。
いつだってどこだって、家の中はブラックボックス。そういう現実をなかったことにしない文章は、当時の人にものすごく助けになっただろうと思います。

 

 

自立したらしたで、べつの悲しい思い

妙に私と云うものが固く皆にたよられているのです。やりきれないとは思いながら、私は自分に出来る間はとも考えて弱くなっています。けれど、私の仕事はマッチ箱を貼るのやミシンの内職とも違うし、机の前に坐ってさえおれば原稿が金にでもなるようにも思っているらしい家族達に、私のいまの気持ちを正直に云ったところでどうにも始まった事でもないだろうと思います。
(三月×日)

思いあうよりもまず憎みあう気持ちを淋しく考えます。頭が痛いと云えば薬を飲めばなおってしまうと思っている人達である。
 朝起きて、小さな女中を相手に食膳をととのえ、昼は昼、夜は夜の食事から、米味噌の気づかい、自分の部屋の掃除、洗濯、来客、仲々私の生活も忙がしい。その間に自分のものも書いて行かなければならないのです。自分の作品の批評についても、私は仲々気にかかるし、反省もし、勉強も続けてはいるけれども、時々空虚なものが私を噛みます。梅雨時はとくにうっとうしいせいか、思いきりよく果ててしまいたい気も時にするときがあります。このまま消えてしまったならばせいせいするだろうと云った気持ちが切なのです。だけど、私がいなくなってしまえば、凧の糸が切れたように、家族の者達がキリキリ舞いをしてしまう事を考え始めるとそれも出来ないような思いである。
(上と同じ日)

――私は肉親と云うものには信を置かない。他人よりも始末が悪いからだ。働きものだと云うので愛されている事は苦しいことである。
(上と同じ日)

こういう親族の関係性の中にあって、思いきりよく果ててしまいたいと思ったりするのが、働き盛りの時代なんですよね。自立したらしたで、悲しい。

 

 

食べ物の使い方がうまい

新宿の旭町の木賃宿へ泊った。石崖の下の雪どけで、道が餡のようにこねこねしている通りの旅人宿に、一泊三十銭で私は泥のような体を横たえることが出来た。
(十二月×日)

大根の切り口みたいな大阪のお天陽様ばかりを見ていると、塩辛いおかずでもそえて、甘味い茶漬けでも食べて見たいと、事務を取っている私の空想は、何もかも淡々しく子供っぽくなって来る。
(一月×日)

午前一時。二人で戸外へ出て支那そばを食べた。朝から何もたべていなかった私は、その支那そばがみんな火になってしまうようなおいしい気持ちがした。炬燵がなくても、二人で蒲団にはいっていると、平和な気持ちになってくる。いいものを書きましょう、努力しましょう……。
(二月×日)

こんな女が一人うじうじ生きているよりも、いっそ早く、真二ツになって死んでしまいたい。熱い御飯の上に、昨夜の秋刀魚を伏兵線にして、ムシャリと頬ばると、生きている事もまんざらではない。
(十二月×日)

最後の引用の日記はわたしの大好きなもののひとつですが、この立ち直りの速さがいいんですよね…。"死" と "熱い御飯" のあいだに一行挟まんのかーい! という速さ。

そしてそのまえの引用の「その支那そばがみんな火になってしまう」という表現は、なんだかとってもヨギー。アグニは生きる力。この雰囲気はすごく昭和っぽいなと思いながら読みました。

 

欲の優先順位の描写が正直

何もないのだ。涙がにじんで来る。電気でもつけましょう……。駄菓子ではつまらないと見えて腹がグウグウ辛気に鳴っている。隣の古着屋さんの部屋では、秋刀魚を焼く強烈な匂いがしている。
 食慾と性慾! 時ちゃんじゃないが、せめて一碗のめしにありつこうかしら。
 食慾と性慾! 私は泣きたい気持ちで、この言葉を噛んでいた。
(二月×日)

死んでは困る私、生きていても困る私、酌婦にでもなんでもなってお母さん達が幸福になるような金がほしいのだ。なまじっかガンジョウな血の多い体が、色んな野心をおこします。ほんとに金がほしいのだ!
(九月×日)

閑散な、お上品なこんな貿易店で、日給八十銭の私は売り子の人形だ。だが人形にしては汚なすぎるし、腹が減りすぎる。
(七月×日)

池の石の上に、甲羅の乾いた亀がもそもそと歩いている。いまにいいことがあるぞと云ってくれているのではないかと、にゅっと首をあげている亀の表情をじいっとあきずに眺めている。少しはねえ、いいことがあるように、私のことも考えて下さいなと亀に話しかけてみる。慾ばってはいかん。はい、承知いたしました。何が慾しい? はい、お金がどっさりほしいです。毎日心配なく御飯がたべられるほどお金がほしいです。男はいらぬか? はい、男はいりません。当分いりません。それは本当かね? はい、本当の事でございます。男はやっかいなものです。辛くて一緒にはおられません。私は何をしたら一番いいでしょう? それは知らん。あんまり薄情な事は云わないで下さい。――亀と話をしているのは面白い。一人で私はぶつくさと亀と話をしている。
(三月×日)

亀にカウンセラーさせるの、すごい。。。

 


読んでいると食欲以外にもいろいろな感覚が刺激されます。
ちょっとした風景描写にも日本語の引き出しが増えるような発見があって、たとえば仄々と書いて「ほのぼの」と読むこととか。わたしははじめから平仮名だと思っていたので発見でした。
それが登場するのが、こんな場面だったりするのでたまりません。

びちょびちょの外便所のそばに夕顔が仄々と咲いていた。

アラレちゃんが「うんちくん」にツンツンするような、そういう素朴さが当たり前に並列で書き残されていて、わたしはこの作家の屋外排尿・排泄シーンの描きかたには格別のものがあると思っています。(『風琴と魚の町』に名場面があります)

 


それにても、本人はずっとおしゃれな詩や童話・小説の作家になろうとしていたのに、「文筆家=よそいきではない」という新・スタンダードを確立しながら世にドーンと出たというのがすごくおもしろい。
男運に恵まれなかったような言われかたをしているけれど、最終的に経験全部を力に変えるだけの才能がこの文面にすでにあふれ出ています。
「亀と話をしているのは面白い」って言ってるあなたが誰よりも面白いわ! とツッコミながら、泣き笑いしながら読みました。

 

新版 放浪記

新版 放浪記