うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

風琴と魚の町 林芙美子 著

発育盛りでいつもお腹のすいている女の子とその両親が、海辺の町で商売をして暮らすしばらくのあいだの話。ずっとせつなくて、あたたかい。
女の子はよく親からビンタをされている。人前でもされる。でもそこに笑いもあって、眼の奥が痛くなる。お腹いっぱいになりたくて抑えられない食欲を母親が制するやり取りがおかしい。
ある日、親子三人でうどんを食べているときに自分だけきつねうどんで両親は素うどんであることに女の子が気づく場面がとても印象的で、胸がギュウとなる。

全般、貧乏物語のなかにあふれるワイルドな美しさと笑いがすばらしいのだけど、野外での女の子の放尿シーンをこんなふうに書けちゃうの?! というくらい、文字による画力がすごくて驚く。

 

親はこんなふうにして社会の中で他人に愛想を振りまいて自分を学校に行かせようとしてくれているとか、そういう淡い息苦しさを感じる瞬間を、恨み節も被害妄想も時代への責任転嫁もなく、美しい景色とおいしそうなB級グルメ情報を織り交ぜながらさらさらと書く。
この「さらさら」には文章力以上のメンタル・コントロール技能が必要であることを知っているだけに、なんかすごくてふるえる。怖さや寒さや淋しさでふるえるのではない、ふるえ。文豪の「豪」が静かにうねるようなヴァイブレーションで攻め込んできて、呼吸が、喉の奥がいつのまにかじわじわ詰められていたことに読了後に気づく、そういうふるえ。


どの小説も舞台にあわせて全部違う絵が浮かぶのは、方言の使い方がうまいからだろうか。この小説はサマセット・モームが田舎の島で暮らす人の心を描くときのような、うわぁそこそんな拾いかたするの?なんかおしゃれね! と感嘆するような表現がちらほらあって、ただの苦労話への感慨では感情が片づかない。こういう種類のおしゃれさを示す単語が見つけられないのがもどかしい。粋、というのとは違うんだよな…。
図太さでもたくましさでもない、誰もが本来持っているはずの心の強さや明るさや生命力のすくいあげ方にサプライズがある。

風琴と魚の町

風琴と魚の町