いいですか、女子のみなさん。これからおっさんがキモいことを書きますよ。暴露しますよ。というのはもうタイトルの時点で出オチなのであって、今の時代になってみれば "なんだその程度か" と思うようなキモさでしかないといえばそうなのだけど、ちゃんと出オチのタイトルをおっさんがまじめに分解しているところがすばらしく、そしてそんなおっさんはまだ32歳。本格的に行動に移しだしたのは28歳。ぜんぜんおっさんじゃないぢゃないか!
…というか、おっさんじゃないことがむしろヤバいことを認識したほうがよいのでは。と思った頃にはもう主人公はとっくに狂っていて、つねに作者は一歩も二歩も先にオチを書いている。そこがキモかわいい。
主人公は、15歳のナオミを俺色に染めようとがんばる所存でありながら、自分にもあたりまえに動物の欲があることを棚上げしてはこんなことで悩んでいます。
ナオミを「偉くすること」と、「人形のように珍重すること」と、この二つが果して両立するものかどうか?―――今から思うと馬鹿げた話ですけれど、彼女の愛に惑溺して眼が眩んでいた私には、そんな見易い道理さえが全く分らなかったのです。(六)
女性を「偉くしよう」とする男性は、女性にそれを表明する時点でいろいろ覚悟をしないと、とんでもない目に遭うのよね。この、ナオミって人は、とにかくすごい。
主人公は、わかってる。わかっているのです。
人と人との勝ち負けは理智に依ってのみ極るのではなく、そこには「気合い」と云うものがあります。云い換えれば動物電気です。(七)
動物電気の存在を、わかっているの。わかっているのに理論立てを試みては、強い電力で爆破される。
むむむこれはどうにも猛烈な恋の病の話であって、キモかわいい自称おっさんだけに楽しませておくのはもったいない案件。
つい昨日まではナオミの色香に身も魂も狂っていた私、そして今では仏の前に跪いて線香を手向けている私、この二つの「私」の世界は、どう考えても連絡がないような気がしました。昨日の私がほんとうの私か、今日の私がほんとうの私か?―――嘆き、悲しみ、愕きの涙に暮れつつも、自分で自分を省ると、何処からともなくそう云う声が聞えます。(二十四)
だいじょうぶだよ。どっちもあなただよ。同じように猫のようなナオミも、豹のようなナオミもおなじナオミだよ。ただメスというだけだよ。あなたは「リア充」ってやつを知らなかっただけ…。そんなに落ち込まないで。
こりゃ、この種の描写で自虐しながら興奮する人が映画化するタイプのやつだ…と思ったら、やっぱり何度も映画化されてた。
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