わたしはヨガをはじめた頃、インド人のヨガの先生から日本で暮らす女性はとてもしあわせなのだと言われ、その理由のインパクトの大きさですっかり自分の人生への印象が焼き直されてしまった過去があります。いまも半分くらいはその感覚でいます。
外で仕事をして結婚もせずヨガなどして暮らしている人がいる。インドの女の子は油かけて殺されちゃうよという話を聞いたときのショックがすごくて。
そんなわたしは医大入試で女性は暗黙で落とされるニュースを見ても、合格試験の時点で消されるか小さいうちに消されるかの違いかな…と受け止め、やっぱりねという気持ちになったりする。わたし自身はそこらへんの感覚を麻痺させることでいろんなことを乗り切ってきたので、この本を読みながら嫌な記憶を次々蒸し返される時間はなかなかの苦痛。せっかく麻痺させてきたのに…という気持ち。それもまた妙な話なのですが。
この本はドキュメンタリーのような調子で書かれ、現代の韓国社会を紹介するような内容なのですが、序盤に大きな驚きがありました。
・・・韓国もなの?!
出生の段階で女性は間引かれる。インドのような持参金負担の問題とはまた別の理由だけど、その人口比の話には驚きました。それで男が余ると問題視されても単純に算数の問題じゃないかそこは、と思う。その後の学生生活、就職や仕事場の様子は自分も経験したことが延々続き、盗撮の件でギョッとしました。
そして最後に、ものすごいパンチのあるワードを知ることになりました。
ママ虫
こんな造語(専業主婦の子育てママを害虫扱いする言葉)があるとは強烈。そういう造語があるという事は、そのムードを共有しようという文化があるということだもんな…。これ、子なし専業主婦だとどうなるの…? だからとりあえずひとり産んで、まずその苦痛からだけでも解放されようぜということ?!
・・・と思った後で、もしかしたらこの「ママ虫」という言葉は「亭主元気で留守がいい」という意識を共感するマインドを持った女は害虫に見えるということか、という思考に至りました。ならば、わかる。あの感じには当時子供ながらに驚いたもの。
「それでうまく回っていた」とされていた仕組みをひっくり返すには、「回らない」時期を避けられない。人口も減るだろうし痛みもあるだろうなと思います。問題はそうこうしている間に生きるのが嫌になっちゃうことなんですよね…。
萎縮せずへりくだりすぎず、仲良くいきたいものです。