うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

春にして君を離れ アガサ・クリスティー著 / 中村妙子(翻訳)

心理サスペンスとはこれかというような物語。でもこれはアガサ・クリスティー作品のなかでロマンス小説に分類され、出版当時は別名義で出されたそうです。アガサ・クリスティーの小説を読んだのはこれが初めてですが、こんなサスペンスがあるのかと驚きながら読みました。二度読んで答え合わせをしても、まだまだどんどんヒントが出てくる。きりがない。何度読めばいいの。

 

主人公は角田美代子にも木嶋佳苗にもなる素養を備えているけれども福田和子にはならないであろう、そんな女性。これだけで超ド級のサスペンスなのに、肉体の殺人に手を染めていないからサスペンスじゃないってどういうことだろう。
メインの体裁は夫婦の物語。でもいまは毒親物語やマウンティングの事例として引き合いに出されることも多いみたい。まあそういうふうに読んで話したくなる気持ちもわかる。
わたしには、もう少し違う物語に見えました。

 

 

 物質主義と自然主義の細かすぎる冷戦物語

 

 

「細かすぎる」ところに、なるほどこれが世界中で読まれる作家の力かとおののきました。自然主義って、どこまでも繊細になりえるもんね。理由なんていくらでも後付けできる、際限なく豊かな世界。その際限のなさに畏れを感じるからこそ、人間はせめて物質主義になんとか頼ろうとする。物質主義を非難する側のあさましさも相当なものでしょうといわんばかりの細かさで実況が続く。
そんな途方もない混沌を一冊の小説で読ませる設定そのものがトリック。その構図と人間関係と環境は神の描いた曼荼羅のようで、どの局面から見ても「まあそうなりもするか」と非の打ち所がない。そんな「日常」が描かれる。角田美代子にも木嶋佳苗にもなりそうな主人公が決してなれないであろう福田和子のようなありようを担う人物と主人公の夫の配置も完璧。

よし。セットアップ完了! さぁて、あとはどこまで言語化しましょうか。そんな作者の腕まくりの様子が目に見えるよう。しかも、それをとことんやる。主人公の代わりにとことんやる。この小説は3日間で書き上げられたそうです。(参考

 

 


この小説はわたしにとってはサスペンスだったので結末には触れません。
そしてこのブログはヨガブログだから、ここからはそのモードで。この物語は、まるでバガヴァッド・ギーターのようでもあったから!
主人公を取り巻くほとんどの人の語りかけが「ほのめかし」や「あてこすり」で終わるなか、ひとりだけクリシュナのように話す人が登場します。その人は思考に訓練を加えるとはどういうことかを教えてくれる。
その人はこう言います。

いいまわしをもっと正確に、何から逃げてきたのか、はっきり考えてごらんなさい

主人公が必要な逡巡を経たタイミングで差し込まれるこの一行!
でも主人公たるアルジュナは思い通りにならないことに立ち向かわない理由をリストアップすることをやめない。そんなアルジュナにクリシュナは「進歩の過程」とはどういうものかも説いてくれる。

死んだ自己を踏み石にして、より高いものへと進んで行くのです

身近な他者を高めることが自己を高めることであると都合よく変換する主人公の思考に釘を刺す。そんな雑な思考の証左にすべく選ばれたであろうキラー・ワード「ナチズム」も、ものすごいタイミングで差し込まれる。なんなのこの小説。どうなってるの!?


新年早々、とんでもない本を読んでしまいました。

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)