あまり大っぴらに語られないインドの文化を知ることができます。
わたしはヨガクラスで歴史について話すときに「そもそも男性がやるものだった」という部分を話したりするのですが、男女の役割・切り分けがすごくハッキリしている上に身分制度もある、区別の多い世界。
インドの魅力と不可解さはいつもワンセットだなと感じます。
この本「インド文化入門」は、結婚・格差・性差のところにしっかりページが割かれていて、例えば結婚の際に女性側に課せられる持参金(ダウリ)について興味深い調査結果が書かれています。
1970年と1992年のデータを比較して、新聞の求婚広告ページに「ダウリ持参せず」「ダウリ不要」の記述が少数ではあるが見られるようになったとのこと。わたしが初めてインドへ行ったのが2002年だったので、その10年前にはオープン化が芽吹いていたようです。この30年は凄まじい変化なのでしょう。
女性を差別しながら賛美する。この複雑さは、前者については「マヌ法典」を読むとよくわかり、後者は女神の登場する数々の物語で知ることができます。
── が、われわれ外国人が理解するのはなかなか難しいもの。この本では、その混ざりかたになんとか迫ろうと、そういうポジティブな意気込みが感じられます。
女神の話も少しずつバージョンアップが繰り返されているそうです。
シーターについては、10世紀前後からの女神信仰の展開と共に、その性格づけに幾つかの大きな変化が起こっている。すなわち、戦うシーターの登場である。そこでは、シーターはヴィシュヌ神の妃ラクシュミーの化身ではなく、女神シャクティの化身であって、一人敢然とラーヴァナと戦い、それを倒すのである。また、女神がその貞操を疑われて、火の中に身を投じるという設定を避けるため、影のシーターという観念が生み出された。すなわち、ラーヴァナに誘惑され、ランカー島に幽閉されたのは影のシーターであって、火の中からは、それ以前に火神アグニに預けられていた本物のシーターが出てくるという設定がなされるようになってきたのである。この設定は、ラーマ・バクティ派のテキストでも踏襲されている。
(ラーマ信仰の展開 より)
「影のシーター」は無理があるだろ~と、たぶんインドの女性も思ってると思うんですけどね。
* * *
さて。
ここからは、仏教に関連した話。
この本にある、宗教について解説されているページを読むと、空海さまがいかに早く混沌とした仏教を吸収していたかがよくわかり、興味深いです。
思想的にも、大乗的考え方が出現したことは、仏教がヒンドゥー教の思想に接近したことを意味しているが、ヒンドゥー教の方でも、有力なヴェーダーンタ学派がウパニシャッドを中心に据えて思弁的内容を発展させていったことは、仏教への接近をもたらすものであった。その結果、ヴェーダーンタ学派の説くところは、仏教の説くところと余りかわらなくなり、七世紀の同派の思想家で、インド最高の哲学者とも言われるシャンカラは、「仮面の仏教徒」と呼ばれたほどであった。
タントリックな密教が発達するにつれてその傾向はさらに強まり、七、八世紀以降、仏教において大日如来の信仰が行われるようになると、仏教とヒンドゥー教の接近は決定的になる。バラモン教の儀礼を復活させた点でも両者は共通し、このような両者の接近は、インドにおける仏教の独自性、ひいては、その存在理由をも失わせることになったのである。そのように、言ってみれば、ヒンドゥー教の中に取り込まれるような形になってしまった仏教に、最後の打撃を与えたのは、アフガン勢力の侵入であった。
(仏教とヒンドゥー教 より)
日本では九世紀に大日如来を最高神とする真言宗が興されています。
ブラフマンアートマンって、梵我一如のこと? となる、あの合流の歴史が、この本ではとても読みやすく書かれています。
インドでは衰退してしまった仏教(密教)が、同時期に中国と日本で息をしていた。インドでの仏教史のブランクを知っておくと、ヨガがヒンドゥー教とも仏教ともフワッとしか紐付かない背景が掴めてきます。
ヒンドゥー教は仏教よりもイスラームと交わりながら発展してきた歴史があって、そして日本の密教は日本の密教。だけど、タントリックな密教は中国を経由してしっかり入ってきている。
この本を読むことで頭の整理ができました。
前半に書いた、階級社会と信仰がどんなふうに絡まって社会を形成できているのか。
市井の人の生活についてリサーチを含みながら柔らかい語調で書かれていて、旅行記ではちょっと物足りないという人におすすめです。