年末年始のタイ旅行の記録をちまちまと断続的に書いております。
今回はタイへの入国・出国で、はじめてスワンナプーム国際空港を利用しました。
これまでドンムアン国際空港しか利用したことがなかったので、あまりの豪華さに驚きました。
ギラッギラです。
インド神話の乳海攪拌の像がすごい
驚くほど豪華絢爛なスポットがありました。
インド神話で有名な乳海攪拌のシーンが展開されています。
(この逸話をまず知りたい人は、以前紹介したインド神話動画の3つ目がおすすめです)
綱引き合戦ではありません。
蛇を山に巻きつけてミルクの海をかき混ぜています。
こちらは、神様チームのみなさま
こちらは、悪魔チームのみなさま
普通に青年団ぽい感じが新鮮です。
神様というよりも、王族って感じ。
今回はタイ旅行中に何度もヒンドゥー文化を感じる機会がありました。
空港やお寺で見るもののモチーフ、公園や通りの名称、瞑想をするヨガが盛んであること、などなどです。
いろいろ気になったので、帰国してから明石書店の「タイを知るための72章」を読みながら、各地で見た光景の背景をおさらいしています。
タイ×ヒンドゥーについてもしっかり説明がありました。
今日はいずれもこの本の「第29章 バラモン=ヒンドゥー的要素」からの引用です。
第29章 バラモン=ヒンドゥー的要素 より
このような宗教的な混淆や共存自体は他国でも広く見受けられる現象ではあるが、タイにおけるそれは、王権およびそれを裏打ちする「神王思想(devarana)」と深く関わっている点で非常に興味深い。「神王思想」とは、国王をヒンドゥー教の神々であるシヴァ神もしくはヴィシュヌ神の化身とする思想である。クメール文化からの影響とされるこの思想は、王権に正統性を与えるものとして、支配層が戦略的に導入したものであると考えられている。
国王の即位式(戴冠式)をはじめ、タイの王室儀礼では王宮付きの占星術師(バラモン=ヒンドゥー的思想に基づく占星術の専門家)とバラモン僧(カースト制度には基づかないバラモン=ヒンドゥー教の専門家)とが重要な役割を担っている。日時の選定やマントラの朗誦などの呪術的行為によって国王や王室の神聖性を喚起させるのである。
以前からタイの文字のクリクリ感がタミル語の文字と似ているなぁ、と思っていましたが、タイの文字は南インド系の文字が起源なのだそうです。
文字の上下に発音のちょこちょこしたのが飛び回るのはベトナムの文字と似ています。
この中間の感じが、タイの魅力でもあります。
チェンマイで公園や通りの表記に「ラーマ」が多かった理由も、以下を読んでなるほどと思いました。
インドの叙事詩『ラーマーヤナ』のタイ語版である『ラーマキエン』(「ラーマの栄光」の意味)は、「神王思想」を象徴的に示し、タイの人々がバラモン=ヒンドゥー的要素に親しむ基盤となっている物語である。
(中略)
タイの地名や国王の名前には、ラームカムヘーン王やラーマーティボディー王にも見られるように、この物語の主人公である「ラーマ」王子にちなんだものが多く見られる。歴代王はヴィシュヌ神の権化たる「ラーマ」の称号を冠することで、親王としての自己の支配の正統性を主張してきたものと考えられている。
じわじわブランディングしてきたと。
タイ人の神話の解釈がおもしろい!
おもしろいのは、ここからです。
インド人も相当おもしろいけれど、それを上回る展開できます。
元ネタ(?)のインドの神話の説明から始まります。
土着化のなかで独自の信仰対象となっていったものもある。タイでラーフー神(プラ・ラーフー)と呼ばれる神は『リグ・ヴェーダ』等のインド神話においては、インドラ神をはじめとする神々と敵対する種族であるアスラとして描かれている。伝統によればラーフーは、神々だけが飲むはずであった不老不死の霊薬であるアムリタを盗み飲みし、月神と太陽神の報告によりこれを知ったヴィシュヌ神の怒りに触れ、ヴィシュヌ神の武器である円盤(チャクラ)を投げつけられ腰から上下真二つに切り裂かれてしまったという。すでに不死の力を得ていたラーフーの肉体は死ぬことはなく、下半身と分かれ、上半身だけの身となって生き続けている。そして、盗み飲みをヴィシュヌ神へ告げ口した月神と太陽神を恨み、彼らを飲み込んでは月食と日食を起こすようになったとされる。
チャクラでボディをスライスしちゃった事件からの、恨み節。
それで永久に月食・日食を繰り返す。由来が恨み節なところは、実にインドっぽい。
それがね、それがよ。
タイでは恨み節じゃなくなっちゃう。
(つづき)
インドをはじめとした東南アジア諸国では、ラーフーは月食、日食とともに不吉なものとして捉えられているが、タイではアムリタによって不死の者となったラーフーはむしろ運勢を司る神と見なされている。ラーフー神のモチーフは寺院の装飾にも使われているほか、アスラの出身でありながら神となったことから、不運や悪運を幸運に転じる力や、事故や黒魔術を撥ね返す力があると信じられ、護符に描かれることも多い。
スーパー・ポジティブ! すごい。
なんでそうなる。
(つづき)
さらに、下半身を失ったために食べたものを身体に留めておくことができないラーフー神は、いくら食べても満たされないことから欲望の象徴ともなっており、金銀資産や豊饒、博打運といった世俗的な事柄に対しても霊験を有すると信じられている。
これまたスーパー・ポジティブ解釈! なのか?!
なんでも世俗的に解釈していくガッツを感じます。
例えば日本の場合だったら「フードファイターに崇められています」となれば、なんか納得できちゃったりもする気がするので、タイの人にはわかる世俗的解釈のベースがあるのでしょう。
日本もタイのことを言えないYO!
ここまで散々、タイの解釈がおもろいおもろいと書いてきたのですが、よくよく考えたら日本もふざけてるとしか思えないというか、シヴァ神から肖像権侵害で訴えられても勝てないレベルのことをしています。
大黒様って、
あんなぐっへっへなオッサンな感じだけど
あのかた、シヴァ神だから!
わたしは友人と神社へ行って大黒様を見るたびに、この話をしています。
亀戸の香取神社の大黒様の写真がありました。
こちらの、お兄さんたちの奥のほうのかたです。打ち出の小づち持ってる人ね。
これはお兄さんバージョンだからまだいいけど、インドの人からしてみれば「何がどうして、こうなった・・・」というレベルです。
わたしはインドで青いシヴァ神が瞑想をしている像を見たときに、「なんでこんなにカッコいいの」と思ったのだけど、わたしの頭の初期設定のほうがどうかしていたのでした。
信仰の伝来って、おもしろいよね。
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